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加齢なるベストイレブン

遭遇録

 

大学時代は結構面白かった。

仲間とくだらない話をして過ごしていただけだが、あるとき一人の奴が、俺の人生は食べて寝て、後トイレだけと言えば、もう一人の奴が、それだけじゃあない、その前に俺たち人間は生物で動物だ、生きてそして動いている、生きて動いて、食べて寝て排泄する、それだけやれば十分だし、おまけにそれに対応する観念や思いもある、十分過ぎると言った。

 また別の奴は物質と非物質の境はない、形があるように見えるのは単に人間の都合でそう見えているだけと言えば、映画かぶれの奴は、世界は映画と同じで決められた台本とシーンがあるだけ、決定された一コマずつが、つながって見えているだけと言う。

一見まともに見えることを言う奴もいた、彼は人間の究極目標は金や名誉とかではなく幸せになることだと言った。

なるほど金や名誉があっても幸せじゃあない人もいるだろう、ここまではごく常識的な考えだと思ったが、彼の幸せについての考えは変わっていた。

彼の考えはこうだ。

幸せは人間の究極目標であるけれど、それは究極の願望であり欲望ということで、それは叶えられない、叶えられるような欲望はまた新たな欲望すなわち欠乏状態を産むだけで究極の欲望とは言えない、一生かかっても手に入らないものこそ究極のものであり、自分は神になりたいと叫んでもそうはなれないようなものだ、究極の願望である幸せは言葉であり、概念であり、憧れの存在であるけれど実在するものではない。

それに対して別の奴が、ドキュメンタリータッチのテレビや映画に出でくる幸せな人や家族はどうなるのかと聞けば、彼はテレビや映画が真実であるのは、そこから刺激を受けて何らかの感情が生じるということが真実というだけ、刺激を受ければ子どもは子どもなりに、年寄りは年寄りなりに、病人は病人なりに反応する、その反応を精神から見れば感情や思いということで、身体から見れば動作や表情というだけ、何から刺激を受けてもそのメカニズムは同じこと、新聞でも紙芝居でも遊園地のお化け屋敷でも、あるいは夢であっても同じ、人間はそこから刺激を受け感情に動かされる、これは真実だか、テレビや映画においてそのストーリーや幸せな人そのものが、真にそこに実在するということではない、製作者サイドからすればテレビや映画を見た人に刺激を与え、そこから幸せというものを感じさせることがポイントで、あくまで幸せが究極目標であり、憧れの存在であるからノンフィクション仕立てのストーリーを描いただけだと切り返した。

それに対して別の奴が、ドキュメンタリータッチのテレビや映画に出でくる幸せな人や家族はどうなるのかと聞けば、彼はテレビや映画が真実であるのは、そこから刺激を受けて何らかの感情が生じるということが真実というだけ、刺激を受ければ子どもは子どもなりに、年寄りは年寄りなりに、病人は病人なりに反応する、その反応を精神から見れば感情や思いということで、身体から見れば動作や表情というだけ、何から刺激を受けてもそのメカニズムは同じこと、新聞でも紙芝居でも遊園地のお化け屋敷でも、あるいは夢であっても同じ、人間はそこから刺激を受け感情に動かされる、これは真実だか、テレビや映画においてそのストーリーや幸せな人そのものが、真にそこに実在するということではない、製作者サイドからすればテレビや映画を見た人に刺激を与え、そこから幸せというものを感じさせることがポイントで、あくまで幸せが究極目標であり、憧れの存在であるからノンフィクション仕立てのストーリーを描いただけだと切り返した。

すると戦国武将に憧れている奴が、秀吉が戦国時代に終止符を打って、天下統一を成し遂げたのは、その時代に生きた武将たちの考えや判断、価値意識などが大きく関わっているのに、それを単なる個々人の受け取り方や感情の問題にすり替えるのは、歴史や歴史上の人物を否定することに通じると別の角度から文句を言い出した。

言われた方は、歴史を否定しているわけではない、天下統一は事実かもしれないが、個々の武将の人物像などは、誰かがそれぞれの立場において後から記したもので、それは戦国武将個々人の実像ではない、これは戦国武将に限ったことではないが、誰かが何某かの感情をもって描いた像があたかも実像のこどくなってしまったということで、その人物に興味を持つのも評価するのも、そう感じる主体の個人的感覚の問題に過ぎないと言うと「実際に会って、それなりの話をしなければ人物像なんて単に他人の想像力に過ぎない」という奴も出できた。

別の奴は、「実際に会ったとしても想像力には変わりないよ、それに武将がタイムカプセルでやってきて俺たちの前で『予は満足じゃ、後悔なんぞしておらん、みな民百姓のためにやったこと』と言っても本心かどうか分からないと言うことだよ、だって人間は人前だと別人になるし、人の本心なんて分からないよ、その人を格好いいと思うのはこっちの勝手ということだよ」と言ったら、横の奴がまた言った。

「俺は小学校のとき、喧嘩して初めて人を拳で殴った、相手は全然悪くないのに殴ってしまい、俺は自分を責め、後悔し続けていた、卒業後もずっとそいつに謝りたかったが機会がなかった、その後そいつとはバラバラになってしまったが、十年経ってやっと居場所を見つけて謝ったけど、そいつは全然覚えていなかった。いくらこっちが忘れられない思い出だと思っても相手や回りは覚えていないし、覚えていても全く違うように受け取っていたなんてよくあることと思うよ」

確かに共有すべき思い出など言葉の上だけで、実際はないかも知れない。これも人それぞれの感じ方だろう。

話に切りも落ちもなくなり、俺はもうそろそろと思い「最終的には何かにふれて何かを感じる、それ以外は何もないということか」と言うと、みんなもうどうでもいいと思ったのか、黙ってしまって他の話題になった。

いつか大学の先輩がきた時、先輩は嫁さんに失望したと愚痴ばかり言っていた。

その先輩は夢を持って生きるという言葉が好きだった。

そして良き理解者に巡り合うことが大事とよく言っていた。

先輩の奥さんは結婚するまでは先輩の話に共鳴し、先輩の数少ない理解者だったらしい、ところが結婚するとマイペースの先輩より奥さんの方が仕事が忙しくなり、あなたの夢物語についていく程暇ではないと言われ、ショックを受けたらしい。

先輩の愚痴をしこたま聞いたあと、みんなでその話をした。

ある者は、良き理解者を得ようとしたときから間違いが始まったと言い、ある者は夢を持つという意味が分かっていなかったと言い、またある者は先輩のマイペースと奥さんのそれとのペースがずれていたとか言ったが、段々その話に飽きてきたとき別の奴が「結婚して同居したから二人の距離が近づき過ぎて他人のことと自分のこととの見分けがつかなくなり奥さんは、自分はそんなこと考えている場合じゃあないと思ってしまったんだよ、錯覚の一種だね」と言った。

最後は二人を取り巻く状況が変わっていることに先輩は気づかなかった、奥さんが変わったというより状況が変わったのだ、人間は状況に支配されているから、どうしても恨みたかったら状況を恨むしかないということにして皆が一応納得した。

みんな自由過ぎたのか、地に足がついていなかったのか、だったらそれはくだらないことなのか。

世間知らずで責任がないからいろんなことが言えたのか、でも責任感のことは分からないが、奴らは今でも世間ってなものは知らないと思う。

 世間てなものは適当に合わせておけばいいとは思うが、それで本心から納得するかどうかは別問題だ。

 確かにくだらない世界だったが、くだらなくない世界ってどんな世界だろう。

俺はバカバカしくても面白い世界からまじめそうでちっとも面白くない世界にこれから行くのだろうか。

 

俺は二浪までして入った一流といわれる大学を卒業して、親の勧めで大手メーカーに就職したが、一年足らずで辞めた。

わざとらしい人間関係の中で生きていくのがサラリーマンの宿命かもしれないが居心地は悪かった。

当然のようにその人間関係の中で埋没していく者もいた。

職場の中でもいじめはあった、少なくともいじめられていると思っている者はいた。

残業で遅くなった日、職場には俺と清水という男と田所という女性しか残っていなかった。

やっと仕事が終わった時、清水は「やっと終わったな」と言いタバコに火を付けた、それに対して田所は「ここは禁煙です、やめてください」と抗議したが、その顔には涙が溢れていた。

その場ですぐ火を消した清水は会社を出たとき「なんだあいつ、あんなことで泣きあがって、この時間ならタバコの一本や二本どうってことないのに、神経質すぎる、正常じゃあないよなあ」と独り言のように言った。

俺は以前、喫煙ルームの造花をきれいにしていた田所を見たことがある。

田所は職場での規則違反を怒っているのではない、タバコが嫌いなわけでもないだろう、ただ自分の前だからタバコに火を付けた、他の人間の前ならしないはずだと思い、自分がバカにされ、見くびられていることが悲しかったのだ、あるいはそう思ってしまう自分自身に耐えられなかったのだ。

俺は清水に応えることも、田所を慰めることもしなかった。

田所はその後、長期の療養休暇を取ったが、そのことが職場で話題になることはなかった。

みんな何かを感じていたはずだか何もしなかった、俺も何もしなかった。

 

俺に会社を辞めた理由をはっはり言えと言われても困る、ただ俺の居場所ではない気がしたのは確かだ。

かといって、何をしたいという目標があるわけでもない。

何となくこのままでいいのか、この先どうなるのか、働く意味って何んだろうと考える日々の中にいた。

回りからするとただボーと生きているだけにしか見えない俺だが、実は答えの出ない問題について、いろんなことを考えて生きていて、脳は俺の期待以上に動いている、不必要に動き過ぎているかもしれない。

あるとき同僚が「人間、目標に向かって進まなければならない」と言うので、「君の目標って何?」と聞くと「郊外に家を建て家族と幸せに暮らすことだ」と返ってきた。

俺は、かなりの想像力を働かせて、その意味を理解しようとしたができなかった。

幸せと郊外の家と家族の関係が分からない。

家族と共通の価値観を持つという神業に近いことをしようとしているのか。

交通ルールじゃああるまいし、それは無理なことだろう。

今、都心のマンションに一人で住んでいることが嫌なのか、それが幸せと結び付かないと言っているのか、その辺が分からない。

別の同僚は「人生楽しまなきゃあ」と言っては、休日はテニス、スポーツジム、夜は合コンと体に鞭打って頑張っているがどこから見ても楽しんでいるようには見えない、楽しみに向かっているよりむしろ、何かから逃れようと必死になっているように見えてしまう。

同僚が飲み会を企画したときがあった。

俺は誘われるままに参加することにした。

元課長補佐で今は嘱託だか、かつては『伝説の処理魔』と呼ばれていた男性も参加するらしい。

いろいろとためになることが聞けるかもしれないということで呼んだと聞いた。

その人は定年間際まで半端でない仕事量をこなしたらしい、なぜそこまでしたのかと聞くと彼は「仕事をしている最中は面倒で嫌だなと思って、今日はこれで止めておこと思うけど、一仕事終えるともう少しできるんじゃあないかと思っちゃって、自分自身と他人の再評価に期待してね、これもやろうと思っちゃって、つい人のエリアまで踏み込んでね、決してノルマなんかじゃあなくて、結果としてやっちゃったということかな、人間は不思議なもので嫌なことでもやり終えるともうちょっとやれるかと思ってしまうね、一段落つくと次の欲が出てくるんだね、俺はできる男だ、やってやろう、そうすれば皆が喜んで、褒め称えてくれて、一目置かれる存在になれるという欲がね、不思議だね」と言った。

俺は人間が不思議なのか、あんたが不思議なのか聞きたかったが黙って聞いていた。

彼はいったん会社を離れたが、また嘱託として舞い戻ってきた、彼流の欲望を満たしてくれる場所が会社以外にないと感じたからだろう。

もっとやれる、もう少しやってみようという会社で身に付いた健気な習性を断ち切れず、会社を辞めてもその気持ちが彼を支配し続けていたが、それを満たしてくれる場所を見つけることができなかったのでまた帰ってきたのだろう。

頑張り抜いた話はいい話のようで、寂しい話でもある。

OBに比べて現役の役付きの話は寂しさを通り越して寒い、さすがという感じだ。

吉井という部長は誰彼なしにちゃん付けで呼んでいた。

中野さんならナカちゃん、吉田君ならヨシちゃん、田所ならタドちゃん、酒井ならサカちゃん、言いにくかろうが、なんであろうが最初の二文字にちゃん付けして呼んでいた。

ご本人は親しみが感じられ面白みのある職場環境を目指していたかもしれないが、効果はゼロだった。

その部長にはみんなを和ませようとお笑い番組を見て勉強しているという噂もあった。

課内ミーティングのとき、部長直々おいでになり、マエダアツシという名の係長の提案書を見て「これはいい、このマエアツちゃんの提案を土台に考えたらどう」とご自分の意見を述べられた。

マエダというのが二人いたから無理を承知でそう言ったのか。

俺は舌を噛まなければいいがと心配した。

横にいた同僚が「あの前田敦子をもじったつもりかな、それなら前田のあっちゃんでもいいのに」と小声で言った。

もし噂どおり皆をなごませるためにお笑いの勉強をしているなら直ちにやめた方がいいと思う。

自分に欠けているのは気安さや面白みだと誰かに言われて気づいたとしても、それは個人の問題として処理していただきたい。

その思考回路及び性格とお笑いのセンスにはギャップがあり過ぎる。

部長の必死の努力にも関わらず職場は和まず、親しみもなかった。

部長はその後、自分で気づいたのか、誰かから注意されたのか、ちゃん付は止めたようだ。

部長の努力はともかくとして、俺にとっては面白さも感じられない職場だった。

 

俺の父親は口うるさいというタイプではないが、厳格な常識人といったところで、地元の有力者の一人らしい。

役所とも関連のある会社の経営者だったが、今は表向き親戚の人に経営を任せて影の執権という立場にいるようだ。

詳しくは知らないが、何かやばいことがあったのかもしれない。

母親は口数少なく、父に逆らったことなど一度もない人で、家ではいつも父の傍にいてかしづいていた、俺には母にかばってもらったり、可愛がられたり、抱きしめられたりした記憶はない。

母はつい最近まで心療内科に通っていたが、父に説得され止めたようだ。

母は自分のことや身内のことなど語らない人だが、父の話によると、母の妹は大きな酒屋に後妻として嫁いだが、その亭主が酒乱で暴力も振るい、あげくに店は謝金の形に取られ、亭主は半身不随の病気となった。

健気に看病する母の妹に対して、亭主の両親も先妻の子も彼女に辛く当たるだけだったらしい。

それでも彼女は親にも姉にも頼らず、相談することもなく、水商売をして家計を助けたらしい、彼女は野良猫を見つけてはそれを家で飼い、謝金まみれの家は、近所でも評判の猫屋敷となったが、飼い主は突然この世から去った。

家族や世間が彼女に同情することはなかった。

俺が「自殺か」と聞くと父は「分からない」と答えた。

彼女は猫を慈しむ目で亭主を見ていたのだろうか。

しかし彼女はある時期、みじめな脇役から主役に転じたはずだ。

家計を支える彼女は、ある時期だけ主役となり彼女自身の世界に生きることができたが、個の世界は世間との板挟みの中で消えていったのだろう。

誰でも自分の世界を持っていてそれを守りたいものだが・・・。

最後に父は彼女のことを病気だと言ったが、じゃあ病気でない人はどこにいるのか。

妹が亡くなったときの母の心情も聞きたかったが・・・聞けなかった。

じいちゃんもいたが去年亡くなった。

じいちゃんの葬式はド派手で大規模なものだった。

市長はじめ市の幹部が勢揃いしていたということだ。

 

一年足らずで会社を辞めた俺は当然のごとく父親に激しく叱咤された。

とは言え、さすがに親は親で、一人息子が家に引きこもっていては親戚に顔向けできないし、世間体が悪いということで、父親は俺に市役所での仕事を紹介した。

ということで、とりあえず地元の市役所でアルバイトを始めることになった。

俺の住んでいる町でこの前、お年寄りが一人で亡くなっているのがニュースになったが、市内には一人暮らしのお年寄りが結構いるらしい。
 市はこの状況に対応するため、一人暮らしのお年寄りなどを対象に訪問サービスを開始する方針を打ち出した。

従ってアルバイトの大義名分は地域の一人暮らしのお年寄りとのふれあいにあるらしい。
 この訪問サービスは、事前のアンケートで訪問を拒否しなかった人や回答のなかった人を訪問し、安否や健康の確認をし、市で行っている催しや各種福祉施策の案内などを行うというものだ。

市の広報などによって、このサービスのPRは周知徹底されだが、事前に連絡すると相手が身構え、体裁をとり作るので、ご近所さんが気軽な感じでお邪魔するという格好の飛び込み訪問が原則だ。

飛び込み訪問では会ってくれない場合もあるが、そのときは事前に了解を取る。

それでもダメなときはあっさりと諦めるらしい、まあ当たり前といえば当たり前のことだが。

任用期間は一年でその後のことは未定。

研修期間という名目で一月間ほど室の整理をしながら事業内容や個人情報の扱いとか市の施策や事務処理の仕方などの説明を受けたが、このサービスについては、市の方も財政難で、本腰を入れるほど余裕はないようで、他の事務処理も兼ね合わせる形で、アルバイトを雇ってお茶を濁すという感もある。
 アルバイトの訪問員は全部で十人で、みんな元校長とか福祉相談員とかカウンセラーとかで、それなりの経験の持ち主ばかりで、畑違いは俺だけだ。

それでも雇ってもらえたのは、親のお陰としか言いようがない。
 それぞれの受け持ちは三十世帯程度だが、俺の分担は十一世帯だ。

市が未熟者に配慮してくれたのだろうと思ったが、上司からは「みんな癖が強そうな人らしいよ」と聞かされた。

仕事の量は少なく見えても中身は濃いということだろうか。

訪問サービスといっても、健在確認ということで、「今日は市の訪問員です」とお年寄りの家を回って、簡単な聞き取り調査を行い、役所の事業を紹介したり、世間話や昔話をして、またお邪魔しますと言って、役所に帰って聞き取った近況などを報告書にまとめ、そんなことを何回か繰り返すだけでいいらしい。

それ以外の時間は事務補助ということで資料整理、パソコンでの清書、コピー製本、雑用などの単純作業に費やする。

時間的にはこちらの方が中心と言えるが、これで賃金を頂いたら申し訳ないという感じがするほどの仕事で、鼻歌を歌いながらでもできる気楽なものでノルマも何もなく、自分のリズムでやれるのがいい。

この雑用まがいの仕事と訪問サービスがどう結びつくかは考えないことにした。
  訪問サービスでの俺の受け持ちは、みんな市役所の近所で徒歩でも十分なところばかりだ。

自転車も用意してもらったが、自転車だとせかされているような気になり、仕事も他の人より早く終わってしまいそうだし、鍵をかけたり、置き場所を探すのも面倒なので、ゆっくりとほんやり歩いて回ることにした。

 

金こそ命、青木さん

 

最初に訪問するのは五丁目の青木さんという八十二歳の男性だ。

市からもらった地図と大まかな情報を記した用紙と聞き取り調査票などをカバンに入れて出かけたが、青木さんの家はかなりの豪邸で立派な門の横にしゃれた形のチャイムインターフォンがあったので、それを押して返事を待った。
  「どなたですか」と貫録のある低い声が響いた。
 「はい、市役所から来た訪問員です」

それから暫しの間、何の返答もなかったので、再びインタフォンに近づいて「あのー」と言いかけたとき、正門横の出入り口が開き男性の顔が見えた。
 のっけから難しそうな顔をしたオッサンとの対面だ。
 「今日は、青木さんですか」
 「そうですが、ご用件は?」

俺は青木さんにこの事業を行うにあたっての経過とか趣旨や内容を改めて説明した。

青木さんは自分には関係ない、役所に期待することは何もないと言いながら「せっかく来たのだから、ちょっと上がっていきなさい」と俺を中に入れた。
 広くてきれいな庭を通って家の中に入り、高級そうなソファーがある応接室に通された。
 「こんな大豪邸で、お一人でお住まいなんですか」と聞くと、青木さんはソファーに奥深く胸を張って座り、葉巻のようなものを口にしながら「ああ、今は一人だ」と大柄とも思われる態度で答えた後、俺の顔をじっと見た。

一人暮らしのためなのか、この人の性分なのか、豪邸にいるのにお茶一杯出てこない、これも俗にいう世間の冷たさか。

聞き取り調査を始めようとしたが青木さんの方から、あれこれと質問してきた。

「君は役所に勤めて何年だね」

「いえ、一月程前からで、実はただのアルバイトでして任用期間は一年と聞いています」
 「ただのアルバイト?日給制なのか」

「はい、日給は七千円程度ですね」

「七千円、一年だって・・・いい若いもんがそれじゃあダメだろう、その前は何をしていたんだね」

「普通のサラリーマンです」

「どうして辞めたんだ」

「まあ居心地が悪いというか、自分には向いていないと思ったんでしょうね」

俺は適当に返事をすればいいと思った。

「まるで他人事のようだな、居心地のいいところなんてこの世にはないよ」

青木さんは『今どきの若い奴は』と言いたげな表情を浮かべた。

「この世にないということは、あの世に行けばあるのですか」

決してからかって言ったのではなく、他に何を言っていいのかとっさに浮かばなかった。

それでも青木さんの難しい顔はそのままだった。
 「違うよ、生きている限り回りは敵ばかりということだ」

俺はこれがお年寄りとの世間話というやつで、適当に合わせて会話が途切れた隙に聞き取り調査票を埋めて、お暇しようと思ったが、青木さんは尚も話かけてくる。
  「なぜ回りに敵が多いか分かるかね」
  「いいえ、僕には」
  「君の回りには敵がおらんのかね」
  「敵のこととか味方こととか、考えたことはあまりありませんし、難しいですね」
  「何が難しい、それは君が鈍感なのか、それとも君が魅力的なものを持っていないからだよ」
   青木さんの態度が益々偉そうで難しそうに見えてきた。
  「魅力的と言いますと」
  「財産だよ、そんなことも分からないのか、俺みたいな資産家になると必ずそれを狙う奴が出てくる」
  「狙う奴ってどんな奴ですか」
  「まず、気を付けなければならんのは身内だな」
  「身内ですか、ご家族のことですか、奥さんとか、お子さんとか」
  「そうだ、家内とはとっくに離婚して子どもは後継ぎにするのに必要だから三人とも引き取ったが、その子どもが危険人物だ、財産を守るのに引き取ったのにだ」
  「えっ、どうしてですか、青木さんのお子さんでしょう」
  「自分の子どもだと油断していいのは小さいときだけ、子が大人になると敵に変わる」
  「敵になるのですか、お子さんが」
  「そうだ敵だ、俺は一代でこの会社を築いたんだ、青徳商事って会社、テレビでコマーシャルもやっているから、知っているだろう」

「セイトク商事ですか、ええーと」
  「何だ知らないのか、まあ君は若いからな、君の親父くらいの年代ならみんな知っているよ、何せ当時は世界に羽ばたく勢いだったからな、この身一つで世界に打って出たんだよ、それが今はチマチマしたことばかりやりよって」

役所が把握している個人情報によると輸入関連の会社の元経営者となっていたが。

俺はセイトク商事なんて会社は知らない、たぶん俺の親父も知らないだろう、第一『セイトク』ってどう書くんだ、あっそうか『青木徳三郎』で青徳か、会社の名前の付け方からして手強そうな相手だと思い俺は身構えた。

青木さんはどんどんくる。
 「俺が社長を退いてから、会社が様変わりして、それまで海外で大きな取引をしていたのに。

海外からの高級家具や高級丁度品は全てうちの会社が関係していたのに、今では日用品や台所用品程度の小物ばかり、リスクの大きい取引はできないとか、商売の原則は薄利多売だの理屈ばかりこねるわ、買い付けに時間をかけ過ぎて、日本で販売するときには、他社でも同じような商品が出回ってしまっている有様だよ。
 俺の時はヨーロッパで掘り出し物が出たら、すぐ飛んで行き一気に商談を成立させたのに、今は石橋を叩くばかりで渡ろうとしない。

二言目には会社や関連企業の従業員の暮らしを守る義務があるとか言ってみたり、日本型ワークシェアリングだと言って社員を五時に帰してしまう、あげくの果てに会社は赤字さえ出さなければよいとまでぬかす、もう滅茶苦茶だ」

俺にはどうでもいい話だが、ただ黙って座って聞いているだけではまずい雰囲気だった。

「今の社長が息子さんですか」

「そうだ、長男だ、会社には次男もいるが長男のいいなりだ、長女は会社と家を捨てとっくに嫁にいってしまった、資産を守り運用するためにアメリカの大学まで行かしたのに何を学んできたのかと言いたいよ、俺は高校もろくに行っていない、回りからバカにされても頑張ってきたというのに」

「長男や次男さんが敵ということですか」

「そうだ、奴らは仕事は適当にしておきながら、俺を締め出し、今度は俺が死ぬのを待っているんだよ、遺産相続のために」

「お子さんだから相続しますよね」

「そうは問屋がおろさんよ」

「お子さんには財産を相続させないということですか」

「そうだ、びた一文やらん、俺と俺が築いた会社をないがしろにしおって、俺から地位と名誉を略奪した極悪人だ、一銭もやらん、役所だったら何かいい方法を知らないか」

青木さんの目は怒りに満ちていたが、俺は関係ない、勝手に自分で考えろと心の中では叫んだ。

「遺言書はどうですか、遺留分は請求されるかもしれませんが」

「誰に相続させるというのかね、そんな人間誰もおらんよ、俺の回りはみんなろくでもない奴ばかりだ」

「だったら寄付するとか、名前は残りますよ、名誉に投資するんですよ」

「そんな名誉なんて回りの人間がねつ造すれば、簡単に不名誉に置き換えられてしまうよ、本当はこうだったとか嘘を並べられたら吹っ飛んじゃうよ、俺の回りにはそんな奴が確実にいる」

まあそう言われるとそうかもしれない。

「じゃあ今の間に好きなことに全部使かっちゃうのってどうですか、ゴルフでも旅行でも何でもいいから」

「誰がそんなもったいないことをするんだ、ここまでくるにはどれだけ苦労したと思うんだ、寝る間も惜しんで、時には床に頭をこすりつけ、時には危ない橋も渡ってきたからこそ、今があるんだ、俺が日本中に別荘を十軒持っているのはそういう努力の結果だ、別荘だけじゃあない、マンションも十軒ほどある」

俺が今なすべきことは話に乗ることだけだ。

「すごいですね、みんな個人の所有ですか」

「そうだ、今は会社名義のものはない」

「今は会長という立場ですか」

「いや、はめられたんだ、役員会で、騙しおって」

「追い出されたのですか」

「裏切られた」

青木さんの目つきが前にも増してきつくなった、俺はその憎しみに満ちた視線から逃れたかった、話題を変えたかった。

「ところで、こんな大きな家だと掃除も大変でしょう、お手伝いさんとかはいないのですか」

家政婦紹介所を通して毎回違う家政婦に来てもらっている。

同じ人だとつい油断してしまう可能性があるからな。

家政婦紹介所だと本人が金を持ち逃げしたら紹介所に賠償請求できるからな」
 ダメだ、どんな話をしてもあの目が追いかけてくる。
 「さっきの話だが」

「はあ」

「俺の資産のことだよ、墓を作ろうと思っているんだ」

「墓ですか」

「そうだ、一等地に土地を買ってそこに俺の墓を建てるんだ、三丁目の公園くらいの広さはいるなあ」

「まるで古墳じゃあないですか」

「最高級の墓石、それに純金も必要だな」

「とてつもない額になりますね」

「百億はかかるかな」

「百億?さあ、それにそんな墓なら維持管理も大変ですよ」

「そうなんだ、それが問題なんだ、この家もそう、マンションでも別荘でもそれがなあ、そこでだ、頑丈なコンクリーの壁で全部囲って鍵を閉めて劣化を防ぎ、中に入れないようにすれば、汚れないし、初期費用だけの問題で維持管理は容易になると思うんだが」

「それじゃあ誰の墓で、どんな墓か分かりませんよ、大金かけた意味がありませんよ」

「それもそうだな、もう少し考えてみるか、苦労するな」

段々アホらしくなってきたが、青木さんは会社を追い出されたときに、全ての資産を自分の所有にし、今はそれを守るために四苦八苦している。

誰にも譲らず一人で消化しようとしているがその方法が未だ掴めないで苦労している。
  若いとき苦労した青木さんは今も苦労している。

貯めるも苦労、守るも苦労、使うも苦労か。
  もう聞き取り調査がどうのという状況ではない。

俺は早々に切り上げなければと思い、「すいません、次の予定がありまして」と立ち上がった、青木さんは何か考えごとをしているようだったが「おう、そうか、また考えがまとまったら連絡するよ、ここでいいのだな」と俺が渡したチラシにある電話番号を指さした。
  俺はそれには答えず「いろいろご協力とありがとうございました」と言い、青木さんの家から逃げ出した。

結構な疲れも感じた。

 聞き取り調査票を埋める余裕もなかったので近所の喫茶店に入り、コーヒーをすすり一服しながら調査票を適当に書いた。
  それから何日か経って青木さんが亡くなったと聞いた。

原因は過度のストレスが引き起こした突発的な脳卒中だということ。

墓は間にあわなかった。

俺はざまあみろなどという不謹慎なことは思わなかったが、悲しさを感じることは全くなかった。

葬儀に行く必要はないだろう、香典もいいだろう。

 青木さんからの連絡はもうない、あの目にさらされることもないと思いホッとした。

 

ホラーマン木村さん

  今日は月曜日、俺は木村さんという六十六歳の男性宅を訪ねる。

木村さんは、さほど大きくない古びた四階建ての賃貸マンションの一階に住んでいる。
  事前の調べでは月曜日以外は仕事に出ているということだった。
  ドア横のブザーを鳴らすと木村さんがパジャマに薄手のカーディガンを羽織って出できた。
  正面から見ると髪の毛は両サイドのみにしか残されていないが、その頭から苦労の痕跡は見い出せない、健康的なハゲ方だ。

「どちらさんですか」

「市役所から来ました訪問員です、一人暮らしの方を対象に訪問させてもらっています」

「ああ、例の奴ね」

「はい、ご存じでしたか」

「ああ、知っているよ、市報でね、それで何か記入するの」

「いえ、こちらからの簡単な聞き取りだけです」

「あっそう、まあ中に入ったらどう」

「いいんですか、じゃあ失礼します」
   中に入ったとき、埃を被り、大型ゴミに出したほうがいいようなゴルフバッグが目に入った。

「ゴルフをされるのですか」

「ああ以前はよく行ったよ、そう言えば昔ね、ゴルフクラブが一本なくなっていてね、ドライバーが、それで明日コースに出るから部下にドライバーを一本買ってこいと言ったんだよ、そうしたらどんなドライバーがいいかと聞くので、何でもいいから早く買ってこいと言ったら、そいつが買ってきたクラブが三百万したんだよ、参ったよハッハッハ、仕方ないからそれでコースを回ったよ」

いきなり何という話だ、俺の頭に暗雲が立ち込めた。

『どこの店に行けば一本三百万円のクラブを買えるんだろう、木村さんは三百万を部下に渡していたのか、部下がポケットに三百万円程入れていて立て替えたのか』どうでもいいことだが、そんなことを思いながらも俺は「へえー」驚いたふりをした。
  木村さんは調子に乗ってまた喋り出した。
  「釣りも趣味でね、貸船は面倒だから釣り船を買ってしまったよ、衝動買いだね」
  船の登録や検査、係留手続などそっちの方が面倒だと思うが。
  さすがの俺も今度はノーリアクション。
  立ったままこういう話を聞くのは辛い、楽な仕事はないと父親がよく言っていたが、昨今はお役所仕事といえども厳しいものがある。
  ようやく部屋に上がることができた。
  俺は部屋に入ってすぐのキッチンにあるテーブルに木村さんと対面するように座った。
  聞き取り調査の途中で、木村さんは、以前は日本有数の呉服店に勤めていて、目の回るような忙しさだったと感慨深く語った。
  「あのころは忙しかったね、日本国中、外車で走り回ったよ、外車で」

別に外車じゃあなくても走り回れるが、とにかく外車ということを強調したいようだ。
  「呉服って高級品でしょう、そう簡単には売れないでしょう」
  「いや違うんだ、僕はセールスじゃあなく、小売店からの依頼を受けて、新しい着物のデザインの紹介とか、展示のノウハウとか、販売のノウハウを伝授するコンサルタントみたいな仕事をやっていたんだ、日本各地にある一流店はほとんど回ったね、それになんといっても着物は日本の伝統文化だから、いろんなことを教えるにはそれなりの人物が必要なわけで僕に白羽の矢が立ったんだね、参ったよ」
  木村さんは単なる呉服売りとは違うとでも言いたげだった。
  「日本の伝統文化ですか、素晴らしいですね、日本の古典文化芸能」

何でもいいから話を合わせておこう。
  「日本の伝統文化に詳しいの、興味があるの」

木村さんは探りを入れるような目で聞いてきた。

昨今、日本の伝統文化芸能については外国人の方が興味を持っていて、日本人よりも詳しい程だという人もいるので「いいえ、僕は日本人なので」とギャグを入れたが伝わらなかった。

俺は慌てて言い直した。

「日本の伝統である着物は海外でもすごく人気があるようですね」

「そうなんだ、海外にもよく行ったよ、高速ジェットで世界の主要都市を飛び回ったよ」

木村さんは現在、市の外郭団体のシルバー人材センターに登録して図書館で本の配送の仕事をしていると市の人から聞いていた。それも仕事ぶりは決して評判のいいものではないなどいろんなことを聞いていた。

日本国中を外車で走り回り、世界中をジェット機で飛び回ったと言う木村さん。

今は自転車で図書館に通っている。

「ご家族は?差支えない範囲で結構ですよ、簡単でいいですよ」

ぼちぼち聞き取り調査を終わりたかったが、そう簡単には行かない。

「仕事の関係で世界中を飛び回っていて、家庭を顧みる暇がなかったことが原因で離婚してね、妻には慰謝料として一億円ほど払ったがね」

話の先が見えてきた、もうこれ以上の聞き取り調査は諦めた方がいいかもしれない。
  木村さんは子どものことは口にしなかった、俺も聞く気にはなれなかった、どうせケンブリッジやオックスフォード大学の名が出てくるだろうから。

それともまだネタができていないのかもしれない。

子どもの存在については返答なしとでも書いておこう。

それにしても一億?俺は何か言った方がいいのかなと思った。

「一億ってすごいですね、借金ですか」

「借金?そんなことないよ、現金で一括だよ、まあそれくらいは稼いでいたからね、今でも呉服店は定年退職したが、展示会のアドバイザーとして年間二千万円ほどの収入はあるよ」

俺の中では『ももええで』という気持ちが沸騰してきた。

「二千万ですか、お金に不自由していないのに図書館の仕事をしているのは健康保持のためですか」

「そうですよ、働かないと体が鈍るからね」

それならボランティア活動もあるだろうに、事実市の方では、高齢者のボランティア活動を推奨し、各事業を推進していて、市の事業の案内やPRも仕事のうちだったので聞いてみた。

「ボランティア活動なんかもいいと思うんですが、花壇の管理とか、公園の清掃とか、ラジオ体操の普及とか、いろいろあって市の方で参加者を募っていますよ、皆さんから感謝されますよ」

俺にとっては、指示された通り市の事業を説明しただけのつもりだったが、木村さんは一瞬ムッとした表情を見せた。

「いや、そうじゃあなくて、働くことに意義がある、日本経済発展のためになる、みんながボランティアだと経済はダメになるよ」

そう語る木村さんの目は生き生きとしたものではなかった。

木村さんの虚言に俺は虚しさを覚えたが、憎らしいというほどのものではなかった。

しかし話の中で彼の心を傷つけてしまったと思うと申し訳ない気がしないわけでもないが、彼を受け止めるほどの大きな心は持ち合わせていない。

俺は何とか理由をつけてお暇しようと思った。

木村さんの家を出たとき、五月にしては寒いと感じた。

夢を見るのは勝手だが、次元の低い、俗っぽいウソ話を他人にすればするほど虚しさを感じることだろう。

嘘話に付き合ってくれなくなり、無視されたり、バカにされたとき、木村さんはその人を憎しみ恨むだろう、今まで話に付き合ってくれた分、逆にその人に余計辛く当たり、結局自分の首をしめることになるだろうに、愛していたものに裏切られたような感情を抱くだろう、人間の感情はそんなふうにできているものだから。
  果たせなかった夢を果たせたごとく語るのは寂しい限りだ。

そしてあのとき、ああだったら思い通りに行ったのにと後悔もするだろう、うまくやった奴に嫉妬し憎しみも抱くだろう、そんな感情にまとわりつかれることがなければ何を空想しようが、それはそれなりにハッピーかもしれないが・・・それは無理だろう。
  まあ『せいぜい言いなはれ』と検討を祈るということにしておこう。

  俺はそんなことを思いながら近くの公園のベンチに座り調査票の足らずの部分を記入し、書き終えて役所に戻ろうとしたとき、季節外れのニット帽をかぶり、ニッカポッカどころではないダブダブズボンの男が隣に座った。

袴をはいた古典芸能の継承者かと思ったが、そんなわけはない。

俺は変な奴がきた、関わらずにおこうと思いつつ、チラッと横を向いたら、その男も横を向いて目が合ってしまった。

何と変な男は大学時代の仲間だった。

俺は何だ、あいつかと思い声をかけた。

「お前大野じゃないのか」

「おお、久しぶり」

大野は涼しそうな表情でそう答えた。

「お前俺がいたのを知っていたのか」

「うん、大学のときから知っているよ」

「違う、俺がここに座っていたのを気づいていたのかということ」

「いいや、それは違う、今分かったんだ」

大野のリズムに合わすことは簡単ではないが、憎めないところがある奴だ。

好きな奴の一人というには程遠い存在だが、俺は大野をうっとうしいと思ったことは一度もない。

「こんなところで何しているんだ」

「日向ぼっこ」

「日向ぼっこ?陽は照っていないぞ」

「だったら何ぼっこと言うんだ」

「知らないよ、そんなもん、ところでお前、今日は休みか、今は何をしているんだ」

「日向ぼっこ以外にか」

「もう日向ぼっこはいいよ、働いているのか、サラリーマンか聞いているんだよ」
  「いいや働いていない」
  「あっそうか、お前も仕事辞めたのか、実は俺もなあ」
  「いいや、俺は辞めていない、初めから働いていないから」
  「未だに親がかりか」
  「親がかり?」
  「親に面倒見てもらっているのか」
  「分かり易く言えば、そんなところだ」
  「よく分かるよ」
  俺は会社を辞め、今は役所でアルバイトをしていることを大野に説明した。
  大野は俺が会社を辞めた理由を聞くこともせず、当時の俺の心情を察するようなことも口にせず、ただ軽く頷いた。
  「ああそうなの、年寄りの面倒も大変だよね」
  「お前に分かるのか」
  「分かるよ」

「どうして」

「話し相手になっているから」
  「誰の?ホランティアか」

「お年寄りの、おじいちゃんの」

「どこの」

「俺の」
  「ふーん、お前が相手をしているのか」
  「親は忙しいから」
 「お前は暇だからな、昔から」
 「だから今も暇なんだ」
 「ええっ、あっそうか、おじいちゃんは元気なのか、今何歳?」
 「八十ぐらいと思うよ、元気だけど、落ち込んだりしたときいろいろと話かけてくるよ」
 「何で落ち込んでいるんだ、どんなことを話かけてくるの」
 「ああ、自分はもう世間から忘れられていて寂しいとか、天涯孤独だとか」
 「ふーん、それでお前はどう答えたの」
  大野は「ああ」と言い、しばらく間を置いてから喋りだした。
  「世間そのものは人間と違い記憶などできないから忘れることもできない」

「うん、それで」
 「それで忘れているのは世間じゃあなく個々の人間の話で、個々の人間の記憶は本人もどうすることもできない身体の造りの問題、他人の身体の造りを思い悩んでも始まらないよ、それに人の名前が思い出せないなんてことも言っているね」

「それで」
 「これも脳の海馬の状態の話で体の造りの問題、人の名前が思い出せないと言っても、その人が笑っているとか怒っているとかは分かるらしい、ならそれで十分、わざわざ思い出さなくてもいいよ、みんな人間には違いないから。

名前なんて記号や番号みたいなものだし、それにずっと同じ人間でいられるわけもないし、まあ覚えていた方がいい時もあるし、忘れてもいい時もあるよ」
 「ああそうなの・・・そうは言っても、年を取ると孤独感が増してくるらしいよ」
 「かといって天涯孤独でもないよ」
 「どういう意味だ」

「どんな人間が、どんな場所にいようが人間はそれなりの関わりの中にいるし、話し相手がいないと言っても、最低限自分自身に語りかけているから」
  「そうじゃなくて自分を理解して欲しいということ、ああそうか自分を理解するのは自分か」
  俺は大野の話はアホみたいだか一利あるのかとつい思ってしまった。
  「それでおじいちゃんはどう言った」
  「ポカンとした後、また寝てしまった」
  「そうか」俺はそれしか言えなかった。
  しばらく沈黙が続いたが、大野は「じゃあ俺行くよと」言って立ち上がった。
  俺が「どこへ行くの」と聞いたら大野はこれから考えると言って背を向け歩き出した。
  俺は「じゃあな」と一声かけて、大野と反対の方向に歩き出し、二人の再開は終わった。

  以前大学の仲間に無性に会いたくなり、連絡を取り実際に合ってみたら、それほどの感動はなかった、喜びは会う前の俺の想像の中にしかなかったということだろう。

でも大野との出会いは、期待こそしていなかったが、あまりにさっぱりし過ぎていて清々しささえ感じた。

 

中村さんの葬儀

 

夏真っ盛り、病に伏していた中村さんが亡くなった、七十歳だった。

 治る見込みはないと本人は思っていたようだ。

 人生七十年は長いのか短いのか俺には分からない。

 俺のじいちゃんは去年亡くなったが、八十過ぎてもスポーツジムに通うほどの健康志向、長寿志向の強い人だった。

 人間死んだら負け、生きてなんぼのもんとよく言っていた。

 八十過ぎの老人のこの言葉に俺も含めて家族も親戚も反応することはなかった。

 それでもじいちゃんは食事や睡眠時間に気を使い、ひたすら元気でいようとしていた。

 しかしその努力の甲斐もなく死んで逝った。

 高額にも関わらず体への負荷も大きく、生存の確率も高くない治療を家族は選択しなかった。

それを知ってか知らずか、死の三日前のじいちゃんの顔には口惜しさがにじんでいた。

 じいちゃんより十歳以上も若くして逝ってしまった中村さんのことを可愛そうとは思わない。

人間死ぬ時が来たら死ぬ。

  中村さんも酒もタバコもやらないし、体に良くないようなものを口にすることもなかったはずだが、本人は長生きすることには関心がないようだった。

中村さんは穏やかで物静かな方で、六畳一間のアパートに住んでいた。

二、三回訪ねたことがあるが、市の行事や施策には何の関心も示さなかった。

あるとき「中村さんの楽しみは何ですか」と尋ねたら「楽しみを求めて、ここにいるわけではない」と笑って言われ、「じゃあどうして?」と聞き直すと「それは分からない、人間にはここにいる理由なんて分からない、分かる必要もないけど強いて言えば必然性といったところかな」という答えが返ってきた。

俺がまた「中村さんにとっては生きている意味というか、生き甲斐とか目標とかは特にないということですか」と聞くと中村さんは「人間は意味があって生きているわけじゃなく、目標があって生きているわけでもなく、生き甲斐があるから生きているわけでもなく、生きているから意味や生き甲斐や目標を探そうとしているだけじゃあないの、そんなのは生の添加物の一つだよね」と晴れ晴れした表情で答えてくれた。

中村さんは「死には添加物はなく、死は敗北でも悪いものでもないが自然に逆らうような生き方、死に方が人間にとっての悪、敗北だ」とも言っていた。

中村さんの生とは虚飾を一切はぎ取ったものだ。

そんな中村さんだが、俺は葬儀に参列しようと中村さん宅に出向いたが、中村さんのことをよく知っているという人の話では通夜も告別式もしないということだった。

それでも家の中に人の気配を感じたので訪ねてみた。

家には娘だと名乗る女性が一人で、部屋を片付けていたので、俺が自分のことを説明すると、娘さんは片付けの手を止め座布団を用意し、どうぞお上がりくださいと言ってくれた。

俺は上がって「このたびはご愁傷様です」と挨拶をしたら娘さんは「ありがとうございます、こちらこそお世話になりました」と礼を言った。

俺はそこで娘さんに聞いてみた。

「やはり葬儀はしないのですか」

「ええ、お墓もありません、遺骨も持ち帰っていません」

「えっ、それは中村さんの遺志ですか」

娘さんは「そうですね、これです」と言いながら、俺にチラシの裏に細マジックで書いたメモのようなものを見せた。

メモの内容は娘さんに書いた遺書のようなものだった。

そこには『私の体は細胞の生死によって保持されてきた。

一つの生が一つの死を生き、一つの死が一つの生を産み自然が生きている、人間も全ての個体同様、自然の産物である以上、自然の力によって常に変化にさらされ、形は瞬時に変わっている、その変化の一つが死と呼ばれている状態であり、自然はその死に、その変化に生きている、自然の変化にいい悪いはない。

それが自然の姿であり、活動であり、私という個体の変化もその自然の活動の一つである以上、
たとえ骨になろうが灰になろうが私は私であり続ける以外にない、気体に変化しようが液体に変化しようが私はこの自然のどこかに存在しているから、ことさら死を悲しまず、葬式なんぞのセレモニーで自然の変化を茶化す必要はない。

私を遺骨や墓という限定した形に置き換えるようなことはしないでほしい、自然の力と運動を個人の歴史に置き換えないでほしい、自然の変化をそのまま受け入れる、そのまま肯定する、それで十分、それ以外は何も要らない』と記されていた。

俺はメモに目を通した後、娘さんにつまらないことを言ってしまった。

「お父さんは何か宗教宗派に関係しておられたのですか、仏教関係とか」

「いいえ、全く、でも本はよく読んでいましたね、宗教関係の本ではないと思いますが」

「そうですか、いえ、中々ここまで言える人はいないと思いまして」

「そうですね」

「お父さんは、僕の前では楽しみを求めて生きているわけじゃあないというようなことをおっしゃっていましたが・・・」

「はい、父は、自分はただ生きているだけ、だからただ死ぬだけとよく言っていましたが、けれどそれは自分の意志ではなく、自分を超えた大きな力の現れとして自分がいると考えていたようです」

「はあ、でも間違いではないような気もしますね」

「父は生きるという強い意志を持ち合わせていなかったのですかね」

「どうしてですか・・・」

「延命治療も高額治療も全て要らないとよく言っていましたから」

「お父さんにとっては、どの道死は避けられないから延命治療も高額治療も不自然な死の選択と思われたのではないですか、病に倒れてからは、いたずらに苦痛の世界を彷徨うことなく、すみやかに旅立ちたい、苦しみの期間が短い自然な死を選ばれたんじゃあないですか」

「まあ、余命宣告に近いようなことは言われていましたが・・・」

中村さんの家を出たとき、俺は、中村さんにあの穏やかで物静かな物腰の中に大らかな雰囲気を感じたことを思い出した。

そして彼の中に死さえ含む生への強い肯定と生死を謳歌する姿を見た。

彼にとっては死とは生の肯定の一部なのだと感じたが、自分が中村さんの真似ができるかというと・・・できない。

俺には欲がある、目標も持ちたいし、それを生き甲斐にしたい、でもそれが見つけられない、何でもいいわけではない、いい加減な夢物語のような目標はごめんだ、届かないものを目標にはしたくない、余計苦しくなるだけだから。

中村さんの真似はできないが、ああいう人がいるということが少なからず俺の心を揺さぶった。

葬式など要らないと言ったことが格好よく見えたのかもしれない、真似はできないと思うが・・・。

 

哲人太田さん

俺が訪問するお年寄りの大半は、社交的ではなく地域の人とのふれあいなど頭にない人たちだ。

これから訪問する太田さんはその典型といえる人だが話しにくいタイプではない、亡くなった中村さんと似た感じがする人だ。

太田さんと会うのは三回目だが、たわいもない話の中で俺の大学の先輩だということが分かった。

それが縁かどうかは別として遠慮なく話ができる人だ。

太田さんは大学を出た後、定職には就かず一時アルバイトでトラックの運転手をしていたらしいが、そのとき事故にあい、歩行もままならない状態だ。

相手の一方的な過失のようだが、満足に賠償金も支払ってもらえず、今は内職のような仕事で生活している。

生活保護の申請を勧めたが「そのうちにするよ」と言ったきりで、生活保護のことを考えている様子はない。

太田さんがコツコツ仕事をしているのは、別に労働は義務であるとか、尊いと思っているからではなく、ただ体や脳が動きを求めているうちは、それに従っているだけらしい。

太田さんは古い六軒長屋に住んでいる。

関西では文化住宅と言われていた建物だ。

両隣は空き家で、剥がれ落ちた外壁は修繕されるのを待っているというより、これでいいと開き直っているようだ。

半開きになっているドアから声をかけたら「どうぞ入って」と声がしたので中に入り、畳の上にじかにあぐらをかいた。

「きょうは内職は」

「今終わったよ、夕方業者が取りに来て、また仕事を持ってくるよ」

「これって儲かるのですか」

「さあ、月に八万から十万くらいかな」

「十万ですか」

「ああ、一日の半分以上はやっているからね、他にすることもないしね」

「ここの家賃は」

「二万」

「やって行けないということもないということですか、ギリギリで」

「やっていけるよ、ギリギリで」

そう答える太田さんはロングの白髪、細身で長身、澄んだ瞳から昔は格好いい青年だったと想像できる。

「太田さんってずっと独身でしたね」

「そだうね」

「それは主義ですか」

「そんなことないよ、そんなの主義と言えるの」

「恋人もおられたんでしょう、思い出しませんか」

「それはないね、記憶の片隅にはあると思うが、それ以上のことはないね」

「ケガをされたことが原因で別れたとか」

「それはないよ、そんなことが原因で別れるカップルなんていないんじゃあないの」

恋人と別れた理由を聞きたいという気持ちもあったし、太田さんもそれには触れて欲しくないという態度でもなかったが何故か聞くのをやめた。

太田さんの持つ雰囲気がそうさせたのだろう。

「この内職はいつからなんですか」

「もう三年になるよ」

「それまでは?」

「会社からの見舞金とか僅かな蓄えとかで何とかね」

「ふーん、それで一日何をしていたのですか」

「足がこうなってからしばらくは、一日図書館で本を読んでいたよ」

「どんな本ですか」

「図書館の本は100番から900番と並んでいるから全部読もうとしたけど、150番辺りで止まってしまったね」

「哲学、心理学辺りですか」

「そう、それでその辺の本をよく読んだね」

「それで一番感じたことは?」

「うーん、本質の世界ってことかな」

「本質って、現象に対しての本質のことですか」

「そう」
太田さんとはこれまでも宇宙の話とか素粒子の話とかおよそ現実生活とは無縁な話をしてきた。

「へえー、面白そうですね、是非太田さんの本質の世界を聞きたいですね」

  「はあ、まあやることもないから喋ってみようか」

「是非、お願いします」

そう言うと太田さんは俺に語るというより自分自身に語りかけるように喋り出した。

「本質がなければ何も存在することはできない、本質こそ現象を成り立たせているもので、現象するものであるけど、我々人間の身体という外延的諸部分とは次元が違もので、外延的諸部分は外部との関係の中で生じ、外部の力によって変化し、消滅するもの」

「個々の人間の身体なんかは外部の物質によって生まれ、維持され、消滅されるということですね」

「そう、外部の力によって、外部からの影響がなければ生きていけないが、外部からの影響がなければ死ぬこともない、外部の力は個々の人間の身体維持という面ではブラスマイナス両面ということになる」

「そのマイナス面になると人間は弱いから、あれこれ原因や理由をこじつけて、そこから逃れようともがくのですね、マイナスというのは何も生死に限ったことではないと思うけど理由をこじつければこじつけるほど苦しくなっていく気がしますね」

「そうだと思う、ところが本質は外部とは関係ない内部の力そのもの、だから本質的には人間は消滅しない、人間の身体などの外延的諸部分は常に外部の力により無限に変化し、消滅するけど個々の人間の本質は本質として永遠に存在する、外延的諸部分は外部との関係にある以上、外部の力により否定あるいは限定されるが、本質は外部を持たないので、これを否定限定するものは何もない、否定限定されないものこそ完全に永遠に存在し、肯定されるものということ」

この辺が中村さんとそっくりだ。

「外延的諸部分とか身体とか個体などは意味がないということですか」

「そんなことないよ、本質は自然の力の一つの現れで、力である以上、外延的諸部分を引き付け、また引き離す」

「だから人間身体などは誕生し、死滅するわけですね」

「外延的諸部分が集まり個体となるが、外延的諸部分あるいは個体の存在と変化の根底には本質の存在がある」

「本質と変化の関係?」

「本質が変化するというより、本質があるから変化がある、本質がなければ水は気体にも固体にも変化しない。

現象を現象として成らしめているものが本質の存在。

その意味では個体も自然の力の一つの現れで、自然の力は個体にも自然全体にも同じ力として働いている、個体は個体としての恒常性維持の機能があり、自然全体にも存在する力がある。

自然全体は外部を持たない、永遠に在り続ける力を有している、その力の一つが個体の力すなわち本質」

「その恒常性維持の機能の根源的原因が本質ということですか」

「本質を取り巻く外延的諸諸部分すなわち外部との関係の中にあるものは生成と消滅というように一定の運動法則を繰り返すことで己が属する自然全体を維持しようとする」

「生があるから死があり、一定の作用が生じれば反対の作用が生じるということですね」

「外部との関係の中にあるものの必然性だね」

「ところが本質は我々が経験する法則や我々に関する必然性の外にあるものなんですね」

「全ては自然の力の現れで、自然の力は全てを含み全てを超越している、個体の本質は永遠の力として存在する自然の本質の現れで、本質はその外延的諸部分のように横の関係を持たない自然との垂直関係にあるもの」

「自然から直接与えられたようなものですか、そこには否定も限定もないから在り続けるということですか」

「そう、自己の本質を認識する限り否定も限定もない、身体すなわち外延的諸部分がどんな形に変化しようが、本質の世界では永遠に存在し、在るということ自体を肯定している」

「本質の世界って把握しづらいところがあるような気がしますが・・・」

「自己の本質を認識することはできるが、他者のそれを感じることはできないし、理解することも不可能」

 「自分だけの世界を感じ取るということですか」

「うーん、それが個々の本質の認識、ここでの認識対象はあくまで自我なき個的本質だからね」

「個別的であっても自我はないのか」

「他者あっての自我意識だから、他者を前提とする以上、自我は相対的なもので本質には属さない」

「でも他者がいるからこそ・・・ああ、外部から影響を受けているのは外延的部分で本質ではないのか」

「外延的部分という物質は外部の物質から影響を受けているよ、それも本質の存在を前提としているが、本質は存在そのものを肯定する個体内部の力」

「二つの世界があるということですか、本質の世界と外延的諸部分というか現象の世界が」

「本質の世界の上に現象世界なるものが展開されているということ、世界は一つしかないので二つの見方があるということ、どちらかを完全に捨て去ることなどできない、人間の身体と精神のように同時に二つの見方があるということ」

「身体と精神という面からすると人間は一方から見れば精神で、一方から見れば身体ということですね」

「そう同時に」

「まあ同時だから身体と精神の間には時間的因果関係はないということか。

そして本質の世界で言うと本質が分母で現象が分子ですか」

「そうも言えるね、無限を分母として有限なるものが展開しているとも言えるね」

「分母がなければ分子は存在しない、個々の人間のように有限なるものにも無限性が宿っている、それが本質か。

そうですか、論理的必然性といった感じですね・・・ところで誰が書いた本が一番面白かったと思いますか」

「誰が書いたって?」

「作者ですよ、太田さんが読んだ本の作者ですよ、たぶん著名な人でしょう、何人かいると思いますが」

「さあ、覚えていないし、そんなの気にしたことないしね」

「作者には興味がないのですか」

「誰が書こうと自分自身の体験を踏まえての叫びだからね、自分自身を納得させるために書いたものだから」

「人に分かって欲しいからじゃあないのですか、それに評価とか名誉とか」

「まずは自分自身にでしょう、何事においても理解したいという欲望は人間の本能みたいなものだし、誰しも自分に自分自身を理解させたいと思っているよ、だから自分に訴えるため、自分を表現するため、初めから他者に期待することはないと思うよ、ましてや初めから名誉なんか気にしていたら書けないよ。

自分自身への叫びと他者の評価は全く違うものだよ、まあ社会的評価を求める前に社会的評価の意味を考えた方がいいと思うよ」

「でも今はみんなそうではないような気がしますが、評価を考える前に評価が絶対的だと取っているようで」

「どこかで順番が変わってしまったんだね、初めから他者と自分を取り違えることはないと思うよ、取り違えると自己の表現でなくなってしまい、別のものになるからね」

「取り違えですか・・・」

「自分と他者を取り違えるトリックによくひっかかるもんだからね、人間は」

「それも自己の本質への認識不足ということかな」

「そうかも知れないね」

「ふーん、やっぱり本質ということか、でもその自己の本質の世界って理論や理屈じゃあ中々実感できないじゃあないですか、何かヒントになるような、きっかけみたいなものってないですかね」

「きっかけ?」

「そう、ふとしたきっかけで目の前に青空がパアっと広がるみたいに、パアっと本質の世界がという感じのものが」

「脳が新鮮な刺激を受けたとき、新たな何かが展開すると言う意味かな」

「そう、そんな感じ、それを具体的に言って欲しいのです」

「それを言葉で説明するのは難しい」

「でもせめて、こんなことがきっかけで本質の世界を感じることができたとか、何でもいいですから言葉にしてもらわないと」

「言葉も刺激を与えるものだが、刺激の受け止め方は人によって違うから」

「どういうことですか」

「例えば、『強い意志を持て』と励ます、『意志など自由に操れるものではない』と諦めさせる、言葉の意味は正反対でも、諦めさせる言葉から新鮮な刺激を受ける人もあり、励ましの言葉から新鮮な刺激を受ける人もいるから、人によって違ってくる、また同じ人間でも時と場合に違ってくる」

「言葉で説明しても、みんな感じ方や受け止め方が違うということですね、言葉の限界ですか」

「限界はある、自分で言葉を発したり、言葉で考えても、その言葉と自分の内なる実情とか実感とは、ちょっと違う、説明し切れていないと感じることは誰もが経験していることで、言葉は万能ではない」

「そうですか、でも本質を感じ取ることも、その新な刺激が出発点になりそうですね」

「逆に言えば、どんな言葉からでも刺激を受けることは可能で、その場合でもそれは新鮮な刺激には変わりないから、言葉なんて何でもいいとも言えるが、行き当たりばったりの出たとこ勝負の命中率が低いそんな言葉で納得させるのは至難の業、刺激は言葉だけからじゃあないので、言葉にとらわれなくても、広がるときには、パアっと広がるよ、それに本質の存在を疑わない限り、一つのエンジンが弱まればもう一つのエンジンが強まるよ」

「一つの見方から遠さがると、もう一つの見方に近づくという意味ですか」

「そういうこと、全ての思いや観念から離れても、本質の観念が離れることはない、存在の肯定である本質の観念はいつ、いかなる場合でもなくなることも離れることもない」

太田さんと俺の間には、何か溝があるような気がして、それを埋めようとするあまり、俺はくだらないことを言ってしまった。

「本質を認識して何かいいことはありましたか。

ああ、すいませんそんな次元の話ではないですね、つい口が滑りました」

太田さんは「ああ」と小さく頷いて俺を諭すように話始めた。

「効用ねえ、あるよ」

「何が?」

「真理を知ったら嬉しいよ」

「真理? それだけですか」

「それだけでは十分じゃあないのかな」

「もう少し、何とか・・・」

「人間は感情の動物と言われているように、人それぞれによって感じ方は違うけど、感情って大きな意味を持つよね、感情には満足感や充実感などの喜びの感情と不安、恐怖、不満、嫌悪、嫉妬、怒り、憎悪などの悲しみの感情とがあるけど、何かを否定すれば悲しみ、肯定すれば喜びの感情が生じるよね。

もちろんこの場合の否定は全否定じゃあないけど、全否定なら対象が無くなってしまい否定すらできなくなるからね。

肯定は全肯定、否定はその限定ってとこかな」

「全否定なんかできないから何か自分と共通なものを残しての部分的というか中半端な否定ですね」

「まあ喜びの感情は、人間にとって存在の肯定、存在力の肯定そのもので身体はそれに平行して快活になる。

これは自然の本質がもたらす結果で、本質は外部のものに影響されないから、その観念からは事物の肯定から生じる喜びの感情しか生まれないでしょう」

「存在そのものを喜ぶか・・・」

「そう」

「善し、と肯定すれば喜び、嫌と否定すれば悲しみの感情が生まれますね」

「本質の認識は個体内部の力そのものの認識で、外部の観念を含まない個体の存在そのものの肯定の認識で、それ自体は否定を含まない、認識とは理解で人間は理解している限り悲しみの感情とは無縁となり喜びしか生まれないということで、この本質は自然の本質の現れで、この本質を通じて自然と個体は存在し、結ばれていることを直感すればいいんじゃあないの。

真理を知って嬉しいところに加えて、大宇宙も含めた自然の本質の一部を自分が担っていると考えればスケールの大きい新たな次元の喜びに満たされるよ、これでどうかな」

「理解する喜びか、本質を認識して自己満足に浸るか」

「他者の観念を含まない認識による自力満足、それ以外に何もないよ、それ以外は自然の運動があるだけでしょう」

「だから太田さんは他者とか他人のことは眼中にないのですか」

「そういうことかな、まあ他者のことは気にならないけどね」

太田さんがそう言ったとき、ふと福島さんという相談員のことが頭に浮かんだ。

福島さんはいつもにぎやかで、しょっちゅう誰かと喋っている人で、友達のことが心配だからと言ったりもしているが、誰かと接してしなければ不安で頭がおかしくなりそうだと言うのである。

まさに太田さんと正反対の人だ。

「太田さんとは反対に他者の輪から外れると不安で仕方ない人もいますよね、しょっちゅう人と接していなければ身も心も持たない人が、それに他人のことが気になってしようがない人とかも」

「他者の影響によって動いている人のこと?」

「そうです、他者の観念でいっぱいの人です」

「そういう人は他者の観念を排除すると何もかも無くなってしまい動けなくなると思い込んでいるから、それが怖いということだろうね、他者を自分の鏡に見立てて気に入ったり、嫌がったりしているからそれがなくなると自己の観念が成り立たなくなり自分が存在しなくなると思っちゃうんだろうね」

「他人の輪の中に入らないと不安になるのも、他人を気にせざるを得ないのも器の小さい自分のためということですか、他人を案じてのことじゃあないですね」

「自己の観念から離れることなんてできないよ」

「なのに他者依存に陥ってしまう、他力満足か、取り違えのトリックか自己と他者の」

「そうなるね」

「何でもかんでも、よく喋る人もいますが、普通はあまりそこまで喋らないですよね、自分の本心をあからさまにするのが嫌だから」

「見方を変えればそれだけ正直ということかな、よく喋る人って」

「これも不安隠しですかね、他人の輪の中に入りたがる人、他人のことが気になって仕方ない人とかも、こういう人たちは本質の世界とは無縁な感じですね」

「無縁ということはないけど、チャンスを逃しているかもしれないね」

「孤独、一人が本質の世界にふれるチャンスということですか」

「他者の観念から離れると、その分自己の観念に直接向き合うことになる、自己の観念とは自己肯定、存在肯定の観念に他ならない自己の本質の部分だから、そこには他者や他物に制約されない能動的な喜びが生まれる」

「自分が今どう思っているか、どう感じているかという自己の観念だけを思考の対象とするわけか・・・、生の実感って案外そこにあるものかもしれませんね、人を見たり人に見られたりするところじゃなくて・・・。

でも一人で自分に向き合う時って怖いこともありますよ」

「それは他者の観念が入り込んでいるか、それの延長上にある死の観念などが入り過ぎているということだよ」

「そんなもんですかねえ」

太田さんとの溝は埋まらなかった。

俺は「ふーん」という感じのまま太田さんの家を出た。

亡くなった中村さんと太田さんは似ているが、二人の間に面識はない、ということは互いに感化し合ったわけではない、ただそういう価値観の人がこの町に複数いるということが何故か不思議に思えた。

太田さんは魅力ある人だ、太田さんのように生きてみようか、いや無理はよくない、太田さんにはなれないし、どこかで太田さんたちのことを『変わった奴らだ』と思いたい自分もいるから。

太田さんの言う他者なき世界などないと断言する気はない、しかし他者の中に生き、他者の中でもがいている俺だか、他者なき世界に生きられないことも知っている。

孤高の人にはなれないが、他者と自分を取り違えるようなことは絶対したくない。

 

始末が悪い始末家中井さん

 

中井さんは七十過ぎの女性で、ご主人とは遠の昔離婚し、現在は年金生活で、マンションでの一人暮らしだ、子どもは東京の方にいるとは言っていたが詳しくは語らない。

東京の有名な女子大を出たとのことだが、あまりイメージと合わない。

その中井さんから役所の方に電話があった。

国民健康保険の減免申請の用紙を役所に届けて欲しいということだった、自分で行ってもいいが何やこれやと聞かれるかもしれないのでそれが嫌だというのだ。

まあ仕方ないか、それくらいならいいかと思い、訪問がてら、その用紙を取りに中井さん宅を訪れた。

チャイムを鳴らすと「どうぞ中に入って」と声がしたので俺はドアを開けた。

中井さんのマンションはヨーロッパ風の建物で、どこかゴージャスな雰囲気もする外観であるが、内と外は大違い。

中井さんの部屋はヨーロッパ風を通り過ぎてヨーロッパの大戦後みたいに悲惨な現状だ。

その悲惨な戦場跡にジャージ姿の中井さんが立ちすくんでいた。

部屋中すごく散らかっていて、記入したはずの用紙が中々見つからないらしい。

中井さんは「おかしいわね、確かここに置いたはずなのに」と言い「あなた役所の人でしょう、国民健康保険の用紙くらい直ぐに見つけ出せるでしょう、上がって探してよ」と言ってきたので部屋に上がり二人で用紙を探した。

テーブルの上や引き出しにも領収書やレシートが散乱していたが、よく見るとほとんどが日付の古いものだった。

俺は一枚一枚に目を通して日付順に整理しながら用紙を探した。

何故そんな親切なことをしたのか、はっきりは分からないが俺にもサービス精神があると言うことだ。

「ああ、これじゃあないですか、これ減免申請用紙」

「ああそれだわ、さずかね」

「それにしても、この古いレシートなんか要らないんじゃあないですか」

「それ、いつの日付?」

「ええっと、三年前ですね」

「三年、なら要らないわね」

「最近のものだけ残して捨てましょうか」

「ちょっと待ってよ、せめて一年、いえ、二年前のものは置いておいてよ、あとはいいわ、捨てても、まだあの箱にも入っているから整理してよ」

中井さんはそう言ってタンスの上のダンボールを指さした。

ダンボールは全部で三つ、その中にはレートや領収書類がこれでもかというぐらい押し込まれていた。

俺と中井さんは三時間かけてそれを整理した。

サービス精神を発揮し過ぎた感がある、元の職場の上司ならなぜそれを仕事に活かせなかったのかと嘆くかもしれない。

自分の限界に挑戦してみろと言われ続けてきた俺だが今日がその限界だった。

「だいたい終わったみたいね」

「そうですね、でもどうしてこんなに、レシートとかを溜めているんですか」

「万が一のためよ」

「万が一って?」

「ほらレジの打ち間違いとか」

「打ち間違いって、みんなバーコードでしょう」

「そのバーコードが間違っているとか、間違いはないと百パーセント言い切れないでしょう」

「百パーセントとなると・・・どうかな」

「そうでしょう」

「それで毎日レシートをチェックしているのですか」

「それはあまりしないけど、間違いって何かの拍子で分かるものよ」

「そのときに備えてですか」

「そうよ」

俺が何気なくテーブルにあった小さな空のポリ容器を満杯になっているゴミ箱に捨てようとしたとき中井さんが「それ、捨てたらダメ」ときつい調子で言った。

俺が「どうして」と聞くと「それは病院でもらった薬の容器なの、容器を持っていけば二十円返してもらえるのよ」と返事が返ってきた。

容器のふちにアリのような虫がいたが、俺は黙って虫だけゴミ箱に払い落し容器をテーブルに戻した。

中井さんは一枚のレシートを見ながら「もう帰ってもいいわよ」と感謝の気持ちを表すことなく俺に退去を促した。

『わかっとるわい』というセリフを胸に抱いて俺はマンションを出た。

中井さんの家を出たとき、きれいな夕焼けが街を染めていた。

夕焼け空と紙屑屋敷、どちらも俺の眼を満たしてくれた。

中井さんが言うように、万がの万が一、何かの拍子で間違いが分かったとしても、レシートや領収書の金額を見る限り、大した金が戻ってくるわけではない、むしろ十円、二十円の話だろう、店に行くまでのバス代の方が高くつくことになるのに、それでも中井さんは何年も前のレシートや領収書までも捨てない、明細書や説明書なども無造作にダンボールに押し込んでいた、その中から一枚のレシートを見つけるのは不可能といってよいほどの神業だ。

有効期限の切れたサービス券、一昨年つぶれたスーパーのポイントカード、見るからに怪しい割引券、そんな紙切れで足の踏み場もないところで中井さんは何かを思い生きている。

彼女が小銭を貯めようとして、こんなことをしているようには思えない。

こんなことをしても小銭は貯まらない。

では何故、彼女はあんなことをしているのか、置き換えられた一つの欲望だと思うが、それ以上は詮索できない。

それが彼女の生き甲斐だというのなら、それはそれで仕方ないことなんだろうか、しかし生き甲斐にしては彼女の精神は何を得たのだろう、レシートは失っていないが国民健康保険減免申請用紙以上のものを失っているかもしれない。

俺は遅くなった理由を適当に言って、今日は直帰して報告書は明日提出すると役所に電話した。

紙屑整理、俺はこれも意義のあるお役所仕事の一つと思うことにした。

もっとも役所でもどこでもイチイチ意義があるかないかと考えて仕事をしている人には未だ会ったことはない。

 

嫁が(かたき)渡辺さん

 

今日は渡辺さんという六十六歳の女性からお声がかかったので訪問する予定だ。

渡辺さんは、長男のお嫁さんとそりが合わず、同居を止め、一人でアパートに住んでいる、年金も受け取っているが、家賃も生活費も長男が負担している。

お嫁さんの長男への接し方や孫の教育、しつけなどことごとく意見が合わず、毎日喧嘩の繰り返しだったと言う。

たまりかねた長男から、しばらく別居してくれと涙ながらに頼まれ、バスで一駅のここへ引っ越してきた。

渡辺さんは嫁の顔を見るのが嫌で、こちらから出かけたり、連絡することはないと言いながら息子に対しては手紙をせっせと送り続けている。

今日もお悩み相談というより愚痴のはけ口に徹しなければならないのか。

まあこれも金のうちかと諦めるのが最良だろう。

俺は重い気持ちを引きずりながらマンションのチャイムを鳴らした。

待ってましたとばかりに、ドアがすぐに開いた。

さっそうと出てきた渡辺さんは、俺とは違い気合十分という感じだ。

渡辺さんの衣装がいつもより派手に見えたのは俺の潜在的な恐怖心からなのか。

「まあお久しぶり、まあ上がって」

「お邪魔します、お元気でしたか」

そう言ってもこの人とは一週間前に会ったばかりだが。

「それがねえー、手紙を送っても返事も電話もないのよ、息子から」

予想どおり例の話だ。

「いつ出されたのですか」

「えーとね、おとといかな、さきおとといかな」

先方にも都合というものがある、黙って待ってろと言いたい気持ちを俺は抑えた。

「やはりご長男のことやお孫さんのことが気になりますか」

「当たり前ですよ、私が気にしなければ、あの子は益々ダメになりますよ、孫もそうですよ、あの嫁に任せていては将来とんでもない子になりますよ、取り換えしがつかなくなりますよ」

また始まったかと思っても仕方ない、話を続けるしかない。

「取り返しがつかなくなるってどうなるのですか」

「どうなるって、そんなこと分からないわよ、先のことだから」

「はあ、そうなんですか」

話の内容を理解する必要はない、ここは話し相手になることが大事だと俺は自分に言い聞かせた。

「とにかく息子のことが気になるのよ」

「親ってそういうもんですかね、でもあまり気にし過ぎると体にこたえますよ」

「もうこたえていますよ、長男や孫のことが気になって気になってしようがないし、夜も眠れないんですよ、病院で薬をもらっているくらいですよ」

「それはいけませんねえ、いったい何が原因なんですか、お嫁さんのどこがよくないと思われているのですかね」

俺は『しまった余計なことを』と思ったが後の祭りだった。

「何が原因とかじゃあなく、みんな間違っているのよ、あの嫁は、いろいろありすぎて、細かいところまでいちいち覚えていないわ」

「そうですか」

細かいところまで覚えていない人に対しても、やっぱり何か言わないといけないのかと俺は一瞬疑念を抱いた。

渡辺さんは当然のごとく俺の疑念など無視する。

「だいたいあの女は自分勝手なのよ、全部自分の趣味に合わそうとするのよ、下心は見え見えよ、ハンバーグとか脂っ濃いものとか塩辛いものばかり作って、みんなを病人にするつもりなのよ、こんな年寄りにそんなもの食べさせたら病気どころか一巻の終わりよ、そうでしょう、どう思われますか」

ここで何か言えば、完全に相手のペースに巻き込まれると分かっていながら話に付き合ってしまった。

「そうですね、油っこいものとかはねえ、でもハンバーグで死ぬことはないと思いますが」

「そんなの分からないわよ、ローマは一日にして成らずよ」

「はあー」何のこっちゃ。

「違うのよ、それだけじゃないのよ、えーと、まあ急には思い出せないけど、とにかくいろいろあり過ぎるのよ、料理だけじゃないのよ、勝手に部屋のカーテンを換えたり、あげくの果てに亭主や子どものことを放っておいて勤めに出ると言い出す有様よ、もう滅茶苦茶でしょう、ねえ」

「ええ、カーテンですか、みんなそれぞれ好みというか趣味が違いますからね、渡辺さんはどんな感じのカーテンがお好みですか」

俺は話題を変えようとした。

「カーテンの好み?そんなものないわよ、考えたこともないわ」

「いや、カーテンの好みのことでもめたとか・・・」

もうどうでもいい、好きなように喋ってくれ、俺は運命に身を任せた。

「違うのよ、何でもかんでも自分で決めちゃうのよ、何様だと思っているのよ、全く」

錯覚かもしれないが、話しているうちに段々と面白さを感じてくるような気がした、お年寄りとの話は結構面白いものだと思おうと俺は努力した。

「ああそうなんですか、ところで渡辺さんはお孫さの将来はどうあるべきと考えておられるのですか」

「孫?そんなもの、孫の自由よ、先のことなんて分からないわ、当たり前でしょう」

俺はその通りだと感銘した。

「渡辺さんは、お子さんも自由に育てられたのですか」

「子ども、まあそうね、叱るときは叱ったわよ、いけないことはいけないと」

「褒める時は褒めてですか」

「褒める?褒めるって、ああ、まあそうよ」

「お嫁さんと渡辺さんの違いってどこなんでしょうね、具体的には」

「具体的って、それより万事が万事自分勝手なのよ」

「渡辺さんはお子さんやご主人と話合われて家庭を築きあげて来られたわけですか」

「そんな時間はなかったわよ、主人は忙しいし、私は私で自分のやりたいことがいっぱいあったし、でも私がいなきゃあ始まらないのよ、私以外、誰も何も決めないのよ、決められないのよ」

『そんなことあるかい』と思ったが話を続けた。

「やりたいことって、お仕事とか趣味ですか」

「両方ね、私の趣味を活かして、友達のブティックを手伝ったこともあるのよ」

「渡辺さんもお仕事に出られたのですか」

「そうよ、でも嫁とはそこが違うのよ」

「どこが違うの」と聞きたかったがやめた、聞いても俺の理解をはるかに超える答えが予想されたからだ。

「お仕事は楽しかったですか」

「嫌なこともあったけど、私は頑張ったわ」

「長く勤められたのですか」

「そうね、二年ちょっとかな」

「ご主人やお子さんのことが心配で家庭に戻られたということですか」

「心配?そんなことないわ」

「じゃあどうしてお辞めに」

「その友達はちょっとセンスに欠けるところがあって、それで意見が合わなくなってやめたのよ」

「そういうお仕事ってセンスが大事になりますからね」

「そうよ、そこが嫁とは違うところなのよ」

渡辺さんは嫁より自分の方がセンスが良いと言いたいわけではないだろう。

事実、渡辺さんの服のセンスは悪い。

かといって、仕事に対する熱意の話でもなさそうだ、じゃあ何だろう、それを今ここで質問するのは危険だ。

今日はこのくらいでいいだろう、またこの次、会いたくなくても確実に会うから。

俺は急な仕事を思い出したふりをして渡辺さんの家から脱出した。

外へ出たとき、反対方向から笑顔で歩いてくる可愛いらしい感じのおばあさんに出会った、面識はないが、おばあさんは俺に向かってに軽く会釈をし、通り過ぎて行った。

いろんな人がいるもんだ。

俺はおばあさんの方をちょこっと振り返ったが、おばあさんが気になったのではなく、渡辺さんのことを考えていた。

渡辺さんは子どもと自分の境目を失くし子離れできないのか、いやそれとは違う。

子や孫に自分を託しているわけでもなさそうだ。

渡辺さんは嫁が来るまでは、自分は主役を張っていると思っていた、渡辺さんの心の中には主役の座を奪われた悲しみ、奪ったものへの憎しみがあったのだろう。

それが彼女の心の中でいつしか主役になってしまった。

それが彼女の生き甲斐なら仕方ないと言いたいところだか、でもやっぱり、悲しみ、憎しみ、嫉妬などの感情を抱えた生き甲斐なんて本性に反しており、あり得ない。

でも渡辺さんは嫁さんの悪口を言い続けるだろう。

彼女が挑んでいる対象は嫁さん自身ではない、嫁さんが対象なのではない、対象は自分一人の努力で作り上げた自分の中だけの嫁さんの像だ、せっかく作り上げたものをおいそれと手放すことはないだろう。

俺はそんなことを考えながら役所に帰った。

報告書を書くのが面倒になってきた。

 

喜悦と安眠だけの天性(びと)金城さん

 

六十七歳の金城さんは養女との二人暮らしだ。

小柄で丸刈り頭の優しそうな目をした人だ。

いつも同じような作業服を着ているが、大きさが微妙に違うので何枚も持っているようだ。

養女は玉枝といい、金城さんは「玉ちゃん、玉ちゃん」と呼んでいる。

役所の資料によると玉ちゃんは二十歳で、軽度の知的障害ということらしい。

なぜ玉ちゃんを養女に迎えたのかと聞くと金城さんは「知り合いの子を養子にしました、特に理由なんか思い当たりません、どこも行くところがないようだったから」と答えた。

金城さんの知人は殺人罪で起訴され、収監されているらしい、金城さんの話によると、その知人が殺めたのは名うての悪で、徒党を組んでお年寄りや障害者を騙し、脅して金を巻き上げ、夜の街を闊歩し、そこでまた因縁をつけ金を巻き上げていたという、知人は何かの行きがかりでその主犯格の男を殺めてしまったが、その男に対して申し訳ないという気持ちはなさそうで、残された知的障害を抱えた娘に対し申し訳ないと、娘のことを案じていたという、男の仲間は一斉に検挙されたが、知人も有罪となり、金城さんはその娘を連れて役所に相談に行き養女にした。

玉ちゃんはどう見ても二十歳には見えない、少し大きめのジャージを着ていて、金城さん同様小柄でショートカットが似合う小中学生のような顔立ちで、どこが知的障害なのか分からない、ただいつもニコニコ笑っている可愛い子どもといった印象だ。

金城さんは日に三、四時間ほど廃品回収の会社で働いている。

俺が廃品回収の仕事は大変でしょうと言ったとき「以前から似たような仕事をやってきたから慣れています」と言っていた。

金城さんは中学時代から親の仕事を手伝い、親が借金を残して蒸発すると、親戚の家に引き取られ、そこでも一時は家業を手伝っていたが、ほどなく働きに出で、工場とかを転々としたらしい。

金城さんは字を書くのも読むのも苦手だと言っていたが、俺が役所の書類か何かを説明するときは、いつもハイハイと返事をしながら頷いていた。

玉ちゃんも一緒に働いているということだ。

親方に玉ちゃんのことを頼んだら「いいよ」と言ってくれたそうで、種分けの作業などを手伝っているとのことだ。

金城さんと玉ちゃんは、仕事仲間みんなに親切にしてもらっているようで、おすそ分けや古着とかいらなくなったものなど、しょっちゅうもらっているらしい。

家賃が月二万足らずの、このアパートも親方がさがしてくれたらしい、トイレは共同だ。

テレビも何もない家だ、家具といってもダンボールや発泡スチロールの箱をガムテープでつないだり、補強したものだ。

しかしそんなに見栄えは悪くなく整然と置かれており、取り出しが便利で一目で何があるか分かるようにレイアウトされている。

二人合わせて月十万程の稼ぎと金城さんのほんの少しの年金で生活している。

年金がもらえるようになったのも役所のお陰と喜んでいた。

決して暮らしは楽ではないと思うが、二人ともそんなこと微塵も気にしていない様子だ。

俺が金城さん宅を訪れるのは三回目だが、今日は職場の上司がお土産だとくれた干し魚を持って、仕事帰りに寄ってみた。

部屋の入口から「金城さん」と声をかけたが返事がない。

廃品回収の仕事はとっくに終わっているはずなのにと思い、二、三回声をかけノックもしたが反応がないので、やっぱり留守かと思い、出直そうとしたとき「はい」と言う声がして金城さんが現れた。

「やあ、どうも、おいででしたか、声をかけましたが、お留守かと思いました」

「すいません、寝ていたので気づきませんでした、まあ、どうぞ中へ」

部屋の中に入ったが、玉ちゃんはまだ寝ているようだ。

「今日は仕事で来たのじゃあないのですよ」と言ったが金城さんは俺が何の用で来たのかということには特に関心がないようだ。

「寝ていたって、どこか御加減が悪いのですか」

「いいえ、昼寝ですよ、いつもの」

「いつもですか、夜は遅くまで起きていらっしゃるのですか」

「はい、八時頃寝て八時ごろ起きます」

それブラス昼寝なら一日の半分以上は寝ていることになる。

ネコみたいな人だ。

「今日は職場でもらったお土産を持って来たのですが、干し魚お嫌いですか」

俺がお土産の包を差し出したら、金城さんは嬉しそうに「ありがとうございます、ああちょうど晩ご飯時ですね、一緒にご飯食べていきませんか」と俺を誘ってくれた。

まだ六時を少し回ったくらいで特に腹は減っていなかったが、金城さん宅の夕食に興味があったので「それは悪いですよ、ご迷惑をおかけしますよ」と恐縮したふりしながらも断りはしなかった。

「構いませんよ、さあどうぞ、玉ちゃんご飯にするよ」と金城さんが一声かけると玉ちゃんはすっと起きて金城さんの横に座った。

つられるように俺も玉ちゃんの前に座ったが、玉ちゃんは、俺が前にいても関係ないという様子で干し魚の包を見ていた。

金城さんが空きケースのようなものを出してきたので、これが座卓だと思い、俺はその上で干し魚の包を開けた、ほのかに魚の匂いがした。

「ちょっとあぶった方がいいですね、僕がやりますから。

ガス使いますね」

俺は干し魚をあぶりながら食器が並ぶのを待ったが、食器は出でこない、仕方なくあぶった干し魚を、包み紙と干し魚が入っていたプラスチックのような容器の上に並べた。

そこでやっと不揃いの茶碗と一度使ったと思える割り箸が出できた。

「まさかこれだけ」と思っていたら、玉ちゃんが立ち上がり、水道の蛇口に行きコップに水を入れ、コップを一つ座卓らしきものの上に置き、また一つ、また一つと三つ置いた。

そして金城さんが茶碗に冷えたご飯をよそい、金城家の夕食が始まった。

折角の干し魚だから日本酒の一杯くらいと期待した俺は浅はかだった。

日本酒の一杯どころか醤油もマヨネーズも何もない、茶碗のへりについたご飯粒を見て、ご飯のお代わりもできない状況だと気づいた。

それでも金城さんが玉ちゃんに「おいしいね」と声をかけると玉ちゃんも「おいしい」とニコニコ顔で答えた。

干し魚に冷や飯も悪くはないが、この家族を人気のレストランに誘えば、どれだけ感激するだろうと俺は余計なお節介心を抱いてしまった。

後日俺は、親戚がやっている行きつけのレストランがあるからどうしても付き合ってほしいと無理に二人を誘い出した。

店で一番高い肉料理を注文し「どうですかここの料理」と声をかけると、二人は「おいしい」と言ってくれたが、その顔は干し魚に冷や飯の時と全く同じだった。

俺たちは無言で料理を口にした。

食べ終わった後、俺は「食後のコーヒーはいかがですか」と聞くと金城さんは「はい」と答えた。

嘘までついて誘ったのに、俺は何だか恥ずかしい気分になり、照れ隠しに金城さんにあれこれと話しかけた。

「無理やりお誘いして申し訳ありませんね」

「いいえ」

「たまには外で食事もいいかと思いまして」

「はい、おいしかったです」

場が持たない。

「えーと、ああ、ところで金城さんは将来のことを何かお考えですか」

「将来?別にないです」

「そうですか、そのー、今はいいですが、将来のこととか心配になりませんか、つい考えちゃうことってないですか」

「ないです」

金城さんは首をかしげた。

「そうですか、今が良ければそれでいいのかな、余計なこと考えることないですね」

「今、はあ、考えても分かりませんから、頭悪いですからハッハッハ」

金城さんは笑顔を見せたが、その笑顔が何か恥ずかしそうにも見えた。

この人は本当に将来について考えることができない自分を恥じているのか、そんなわけないか。

この人の頭の中には過去も未来もないのか、考えないようにしているのか、かといって今を大切にと意識しているようにも見えない、そもそも何がいいか悪いかさえ思考の対象外になっているのか。

特に今を意識しているわけではないが、二人にとっては今あるものが全てのようだ。

本当にネコみたいな人だ。

玉ちゃんは二人の話を聞いているわけでもなく、ただ笑顔でちょこんと座っている。

子猫の玉ちゃんか。

俺はそんな二人に何故か興味を持つようになり、二人の職場をのぞいてみた。

その職場はアパートから五百メーターくらい先にある倉庫のようなところだった。

全部で十人くらいの人が働いていたが、金城親子は隅の方で二人一組になって仕事をしていた。

二人は無言で仕事をし、それが一段落つくとお互い見やってニコッとしてまた仕事に精を出すということを繰り返していた。

ちょっと失敗するとまた初めからやり直さなければならないような作業でも、何事もなかったかのように何回もやり直していた。

何かをやろうとして、やり始める、できなければまたやり、そしてそれが曲がりなりにもできたと思い喜ぶ、そしてまた何かをするといった感じだ。

考えてみればみんなそうしている、確かにみんなそうだ。

人間は何故かみんなそうしている。

人間の体や心の構造がそういうふうになっているからだろうか。

だとしたら、これが人間の本性、天性というものか。

それならその本性、天性に従うだけだ、余計なことを考えずに人間の本性、天性に従うだけだ。

本性、天性に逆らってもどうしようもない。

本性、天性にいい悪いも上下関係もない。

あの二人は本性、天性のものに従っているだけで余分なものは何もない、だからいつも楽しそうにしていられるのか。

二人からすれば、仕事の内容などどうでもいい、一流企業に勤めて高額な報酬を得ようが、今の仕事をして僅かな金を得ようがそんなことは関係ない。

あるのは本性、天性だけだ、自然から与えられた本性、天性に生きているだけだ。

高価なオードブルと料理も干し魚と冷や飯も二人にとっては同じだ、どちらもそれなりにうまいと感じている、そしてそれ以上のことは何も考えていない。

きっとそうだ、二人は豪華とか質素とか、これはよいとか、これは悪いという思いに縛られることなく、それに他人と比べることもしない。

しかしみんな他人と比較するから話が変になってしまう。

確かにどんな相手と比較しても、比較は否定と悲しみを伴う。

弱いものとの比較は虚しさを感じさせ、強いものとの比較は嫉妬や憎しみを生む。

金城親子にとっての比較は長い、短い、大きい、小さいという類のもので、そこには価値基準も良い悪いの感情も付随していないのだろう、だから他人との比較という観念もすごく希薄なのだろう。

足らないのに満ちている二人の前を遮るものは何もないのか、遮るものの観念を排除したところに生きているのか。

これがネコの世界か、別世界だ。

これは何なんだろう、なぜそうなったのか、脳の部位の関係かそれとも、いろいろ考えたが答えは出なかった。

答えは出なかったが、答えの代わりに俺はもう別世界に住む人間に興味を持つことは止めようと思った。

世間という星に住む俺が、遠い星の国から来た人のことを気遣ったり、逆に憧れても仕方ないことだ、これを答えにしよう。

 

負けない人、入江さん

 

入江さんは七十歳になる女性だが中々会う機会に恵まれなかった人だ。

入江さんを訪問する前に、上司から「地域の婦人会に入っている人で、対応か気に食わないと、大勢で役所に押しかけてくるかもしれないので、おばさんの話に興味がありそうなふりをして話を合わせておけ」と忠告され、「いやなら次はもういいが最低一回は訪問しなければならないからな」と言われた。

俺は「全然構いませんよ、逆に興味が沸いてきました」と答え俺には珍しく気合を入れて臨んだはずだったが。

「今日は、初めまして、私は市の・・・」から始めて、いろいろと話を聞いた。

入江さんの話によると厳しく怖い存在であった父親から入江さんも含めた兄弟三人は、ことあるごとに人に負けるな、人の上に立てと、さんざん言われて育ったらしい。

入江さんはそれ以外のことについては語ってくれないので謎めいているところもある。

その父の教えで頭がいっぱいだったせいかは分からないが入江さんは独身を貫いている。

兄弟とは全くの音信不通らしく、他の親戚のことなど知らないと言っている。

まあそれはともかくとしても、人に負けるなと言われても勝ち負けの基準をどこに置くのか、それにどんな場合でも相手があることだから、当然勝ち負けが付きまとい、勝ち続ける努力にも限界があると思う。

その点を入江さんはどう考えたのか。

入江さんから聞かされた少女時代から思春期、そして学生から社会人へと進む話の中で俺なりの答えが見つかった、俺の考えはこうだ。

『まず入江さんは勝ち負けの基準を金と名誉に置いた。

それは人よりも金持ちになること、そして人よりも美人に見えて、高い地位や役職を手に入れ、一目置かれることだ。

基準を設けた入江さんは、人に負けない方法を思いつく、頭のいい入江さんは投資に見合う効果を期待した。

相手がどんな人であろうと、がむしゃらに立ち向かって勝ち抜くという非効率なことはしない。

勝つための条件の一つは負けないことだ。

そのために入江さんは比較の精神構造に目を付けた。

人に負けない方法とは自分より貧しい人を探し、社会的に地位が低いと自分が感じる人が回りにいればいいことだ、自分の方が上だと思わせてくれる環境を作ることだ。

あるいは強い人間の後ろに隠れてトラの威を借る狐になればよいことだ。

それを入江さんは実に非の打ち所がない戦術だと考えた』

俺はそう思いながら中々終わらない話に付き合っていた。

話が一息ついたとき、整理箪笥の上に派手な格好をしているおばさんたちの集合写真が目に入った。

俺は何気なく「これはなんですか」と聞いたら入江さんは「ゴールドミセスクラブで美術に造詣の深い人たちで美術館に行った時の写真よ」と言った。

「ゴールドミセスクラブ?」

「あら、ご存じないの」

「はあ、そのー」

「困った方ね、役所の方でしょう、ゴールドミセスクラブっていうのは、選ばれた人しか入れない、会員制のクラブよ、行政や恵まれない人のために寄付をしたり、お茶会をしたり、美術鑑賞とか最高の芸術に触れて自己を磨くミセスの集まりよ」

入江さんはミセスではないと思うが、どういうわけか会員になっている、俺には会員になる基準は大雑把なように思えたが、入江さんは「それにそこそこの容姿も、身だしなみも必要なのよ」と付け加えた。

ということは入江さんもそこそこの美人ということか、昔は美人だったということか、想像するのが難しい。

ただ部屋着にしては派手なリボンタイブラウスを着ていたがデザインと色合いが顔とマッチしていない。

俺はそのクラブのことは聞いたが、入江さんの言うような人の集まりとは聞いていない、名前はたいそうなものの単なる地域の婦人会の一つだと思っていたが、入江さんはそのクラブを入江さん流に格上げして上機嫌に浸ろうとしているのだろうか。

俺の反応が希薄だったことが気に入らなかったのか入江さんは「市長さんにもいろいろと、ご提言申し上げているわ、これが会員バッジよ、見たことないの」と言い俺にスーツにつけられたバッジを見せた。

「ああ、これですか、見たことありますよ」

「えっ、どこで」

入江さんは一瞬ドキッとした表情を見せた。

「三丁目の酒屋のおばあちゃんもしていましたよ、なんでもかつては市の文化行政に貢献されたらしいです」

「市に貢献?その方なんという人」

「えぇーと、名前は・・・」

「その方名誉会員なの」

「名誉会員?」

「会員の中から功績のあった人は名誉会員に選ばれるのよ」

「そうなんですか、さあ、そこまでは、入江さんは名誉会員なんですか」

「もうすぐなる予定よ」

「そうですか、すごいですね」

「そうなのよ、フフッ楽しみよね」

今度は俺の反応を気に入ってくれたみたいだが、それでも入江さんは酒屋のおばあちゃんのことを聞いてきた。

「ねえその方、バッジの他にブローチしていなかった?」

「さあ、それもちょっと、それが名誉会員の印ですか・・・」

「そうよ、ダイヤの入ったブローチ、本当に覚えていないの」

入江さんはメチャメチャ酒屋のおばあちゃんのことを気にしていた。

俺は、酒屋のおばあちゃんの話題から離れようとした。

「お茶会といえば上の権藤さんはお茶の先生ですよね、あの方なんかも会員ですか」

「知らないわ、このマンションで会員は私だけのはずよ、お茶の先生だからといって、会員にはなれないのよ、それなりのネームバリューがないと」

「家元だということですが」

「家元といっても大きな流派じゃないとね、会費も結構なものよ」

「そうですか、生徒さんも結構いるようですが」

「どんな人がいるの、何人くらいなの」

「詳しくは知りませんが、自転車屋の原さんの奥さんから聞いただけなので」

「その奥さんは生徒なの」

「はい」

「あの自転車屋さんね、あまり大きいお店じゃあないようね」

自転車屋の大きさはここでは関係ないと思うが。

  「そうですか、この辺りでは古くからある店で、ご主人のお父さんが地主で県会議員だったとか」

「地主ってどこの土地持っているのよ」

「子ども公園の隣の土地なんかもそうらしいですね」

「えっ、あそこ、んまあ、どうせ担保に入っているわよ、議員だと、お金がかかるから土地を担保にお金を借りているわよ、きっと」

入江さんは俺が言う人の弱点や欠点を無理に作り上げているのが分かった。

自転車屋の奥さんとてうかうかできない。

やはり予想どおりの人だった。

面白そうなのでさらに二、三の人の名を上げた。

「原さんのお向かいの工藤さんなんて美人で清楚で、いつも小奇麗にしていらっしゃるので会員になればいいのにと思いますよ」

「美人というだけじゃあ会員にはなれないわよ、それにあの方のご子息リストラにあったのでしょう」

この人にかかればどんなことでも欠点になる。

「緑公園の前の大豪邸の秋山さんなんか会員じゃあないのですか、市長とも親しいと聞いていますが、写真の中にはいなかったようですが」

「ああ、あの方ね、元会員といったところね、今は活動にはほとんど参加していないわ、もうあの方ボケが進んで、市長も同情して話し相手になっているだけでしょう」

「ああ、そうなんですか」

中々褒めてもらえる人が出てこない、ふと写真に目をやると見覚えのある顔を思い出したので、俺は写真を指さした

「ああ思い出した、この人和田さんでしょう、この方も会員だったのか」

「あの方ね、いろいろあって入れてあげたのよ、和田さんは」

「いろいろと言いますと」

「あのね、会員になりたいと会長に泣きついてきたのよ」

「泣きつけば会員になれるのですか」

「そうじゃないわ、最終的には会長から相談を受けた私が判断したのよ、だってあの人可愛そうなのよ、だから」

「可愛そうと言っても、和田さんの息子さんは有名な経営コンサルタントで、奥さんも料理研究家で本も出されて売れているし、お優しい感じの方だし、お孫さんも優秀らしいし、サクセスストーリーの中にいて幸せそうに見えますよ」

「あら、あなたご存じないの、あの経営コンサルタントのご主人は詐欺疑惑で警察にマークされているし、奥さんは家では何もしない人で、お手伝いさんにお皿を投げつけたこともあるのよ、内と外では大違いよ、それに息子は引きこもったきりで学校にも行っていないのよ、これは確かな話よ。

幸せそうに見えるだけで、実際はメチャクチャなのよ。

他人の目ほど当てにならないものはないわよ、本人にとっては」

なるほど入江さんは他人のことは分かっていても自分のことは分かっていないってことか。

入江さんについては俺の予測が見事的中したようだ、ヤッタと思ったが喜んではいられない。

気合を入れて臨んだことを悔い、入江さんの話を僅かでも面白く感じた自分を悔いた。

もうこれ以上、誰が登場しても無駄だと思った。

俺は近々行われる市の行事や改定予定の施策の説明などをして、早々にお暇した。

人に勝つには相手を弱くすればいい、欠点を見出し自分より弱い、自分の方がましだと納得すればいい、勝つための入江さんの想像力と創造性には感嘆する。

でも無理に人の弱点を想像するのは相当なエネルギーを要し、ストレスも半端なものじゃあないと思う。

それにゴールドミセスクラブに入って特権意識を持てたとしても、また仮にそのクラブが権威の塊であったとしても、強いものに付いて生きるのは弱いものに付くよりストレスが何倍もかかるだろう。

大学の友達がいつか俺に言ったことがある。

幸福感とは欲望の達成度とストレスの割合で、達成された欲望と望んでいた欲望と総ストレス量の関係割合だと、もしそうなら、入江さんは幸福を犠牲にしてでも戦っているのか。

これなら自分一人で頑張った方がよほど楽なのではないのかと思うが。

本当は人の粗探しをして満足感に浸ることなどできるはずがないのに、それこそ欠乏感の現れだ。

そんなことを考えているうちに役所に着いてしまった。まだ終業時間まで一時間以上ある。

明日はどこを回ろうか、ああ小柴さんか。

 

小説家小柴さん

 

小柴さんは六十五歳の男性で、外見はフレームが壊れかけているメガネをかけている以外、これといった特徴のない人だが極めてまじめな性格だ。

ご両親は他界しており、兄弟はいない、奥さんとはだいぶ前に離婚し、子どもも奥さんが引き取り、今は一人で親の代からの古書店を営んでいる。

一時はサラリーマンだったが、サラリーマンは性に合わなかったと俺同様のことを言っているが、それ以上に商売も性に合っていないようだ。

店といっても客はおらず、開店休業状態だ。

本人は商売には興味がないらしく、小説家だと言っているが、定かではない。

年金収入の他に近くに、これも親が所有していた何件かの古いアパートを相続しており、ある程度の家賃収入もあるようだ。

その小説家小柴さんから、俺はときどき原稿のコピーを渡され、読んで感想を述べてくれと頼まれるが、語句も表現もありきたりで、新鮮な刺激を受けることはない、面白いと感じたこともない。

この前は伝記小説のようなものを渡された、よくここまで調べたと感心するが、やはり面白くない。

だからといって、どんな小説が面白いかと言われても困るが、小柴さんの小説はただ字がいっぱい書かれているという感じだけが残る。

登場人物が多すぎて、その関係が何が何やら分からない。

面白くない小学校の歴史の教科書に要を得ない解説と、的はずれの著者の感想がいたる所に載っているという感じだ。

それでも小柴さんは書き続けている。

一度だけ地方新聞主催の文芸賞の佳作候補の一人にあがったことがあるらしいが、それっきり賞には縁がないとのこと。

それでも小柴さんは芥川賞作家に強い憧れを抱いており、そこを目指して日々奮闘している。

小柴さんを見ていると、人間諦めなければ何とかなるとよく耳にするフレーズも、それは百パーセントの話ではないと確信してしまう。

小柴さんに原稿を返しに行こうと思い、俺は役所を出た。

返してくれと頼まれたわけではないが、職場には置いておくスペースはないし、家に持って帰る気にも中々なれないので返しに行かざるを得なかった。

行けばまた感想を求められる、仕事には憂患がつきまとうものと割り切って、勇気を振り絞って行こうと決意したが、感想など用意していなかった。

ウナギの寝床のような店の奥に陣取った小柴さんは俺を見つけるとすぐに「いかがでしたか」と尋ねてきた。

小柴さんのメガネのフレームはとうとう壊れたのかビニールテープのようなもので固定されていた。

「感想ですか、ああ、そうですね、えぇーと・・・一口には言い難いですが・・・主人公の信条とか、歴史的背景とか・・・それに登場人物個々の人間像とか・・・感じたことをここで言葉にするのがちょっと・・・うーん」

俺は口ごもってしまったが、ラッキーパンチがヒットしたようだ。

小柴さんは納得したようにうんうんと頷いた。

「そうですね、ごもっともです、あの作品に対して簡単に感想を述べられてもねえー、読み手の方の奥深さを実感しました、恐れ入りました、ありがとうございました」

「いやー、こちらこそ恐縮します」

互いに誤解と錯覚の世界にいるが、それはそれでいいときもあるものだ。

後はいつものように軽い会話の中にいることにしよう。

「書き続けるって大変でしょう」

「はい、でも目標がありますから」

「以前もお聞きしましたが、どうして芥川賞なんですか」

「ネームバリューがあるでしょう、直木賞でもいいけど、やはり人に分かってもらえて『なんぼのもん』ですからね」

「人に気づかれず他人の悪口を言っても全然面白くないのと同じですか」

「妙な喩えですね」

「いえ、何かをしても、人に全然気づかれなければやり甲斐がないということです」

「ああそういう意味ですか」

「有名人になりたいということでもないのですか」

「それとは違いますね、文学的センスと才能を評価してもらいたいのです」

「それも不特定多数の人にですか」

「うーんまあー、そうです」

「小説じゃあないとダメなんですか」

「私は文学こそが、個々の人間のあり方を後世に伝える一番のものだと考えており、文学の世界が最高の世界だと思っています」

「それで芥川賞ですか」

  「はい、他には何も要らないですが、これだけは、私の全人生です、私の夢であり、目標であり、私の生き甲斐そのものなんです」

軽い会話のつもりでいた俺だが、いつの間にか小柴さんを意識しはじめ、受け入れるのが辛くなっていた。

夢を見ること、目標を持つことは悪いこととは思わないが、『後世に伝える』とか『最高の世界』とか『全人生』とか、この人の場合、自分の言葉に酔ってしまっている、最後に酔いが醒めたらどうなるのだろうか、また自分の言葉に酔って『わが人生に悔いはなし』とでも言うのか、誰に向かっていうのか、自分自身にか、賞を目指している人にか、賞を決める人にかそれとも・・・。

俺はどこかでこの人に小説を諦めさせようとしているのか、もしそうなら、それは何故だろう、もうこの人の書いた原稿を読みたくないからか、それとも無駄な努力をさせたくないからか、いやそんなものではなく、俺自身の中に小柴さんの価値観と何か共通するものがありながら、相容れないところがあるからだろう。

本来は小柴さんの好きなようにするのがいいはずなのに、俺は自分のはっきりしない価値観を明瞭化、正当化するために、この人を否定しようとしているのか、もしそうなら、これほど馬鹿げたことはない。

俺はそのことを分かっているはずなのに。

そんなことが俺の脳裏をよぎっていた。

「不特定多数の人にならブログにでも載せたらどうですか」

「いえ、権威のある人に評価してもらいたいのです」

「ブランド志向ですか」

「いいえ、そういう意味ではありません」

太田さんが言っていたとおり人それぞれ感じ方は違う、刺激の受け方は違う。

「芥川賞でも、直木賞でも複数の選考委員がいますね」

  「そうですよ」

「その人たちが賞を決めるということは、その人たちの感性や価値意識に頼らざるを得ない、その人がどんな人かも知らないのに、その人に賭けることと同じですね」

「いえ、選考委員はみんな著名な方ですから、作品を通して考えなどは分かっていますよ」

  「でも、その人の好悪の感情や、日頃何を基準にして何を考えているのかまでは正直いって分かりませんね」

  「それは、そこまでは無理ですね」

  「だったらその人の全てを理解しているわけではないので、知らない人に賭けるということになりませんか」

  「そういう部分もあるかもしれませんが、歴史的に評価されている賞ですから、それに芥川賞作家への憧れも強いのです」

「憧れですか、僕も高校時代ソクラテスに憧れましたが」

「ソクラテス?そんな昔に亡くなった人じゃあなく、今いる作家への憧れなんですよ」

「ソクラテスも歴史上、評価されていると思いますが」

「そうではなくて、もっとリアリティー感のある人物への憧れなんです」

「憧れは憧れとしてもですね、おっしゃられた歴史的評価といっても、評価はあくまで個々人の感情の世界のことだと思いますが」

「その個々の感情の世界なりを小説として人々に紹介したいわけですよ、知ってもらいたいということです」

「紹介ならブログに乗せれば十分でしょう。

世界中の人に知ってもらえるチャンスもありますよ」

「チャンスだけで実際どれだけの人が読んでくれるのか」

「それは芥川賞でも同じでしょう、むしろ選考漏れなら、ほんの数人の人の目にしかふれないことになるでしょう」

「ブログもいいですが、あれは素人の感想だけで権威のある方の評価ではないし、誰がいつ読むかも分からないでしょう、私の死後に読まれるかもしれないし」

「死後評価されることも珍しくないですよ、価値観や評価はその時代に制約されますから」

小柴さんは「まあ、そういうこともあるでしょうけどね、でも権威のある賞というのはですね」と滔々喋りだした。

俺は小柴さんが在りもしない権威を想像し、他人の評価を期待しながら生きている姿に腹立たしさを覚えてしまった。

いや正確に言うと俺の中にいるもう一人の俺に腹が立ったのだ。 

他者評価に期待することは太田さんの言った自力満足ではなく他力満足だ、他力満足は他人様次第でどうにでも転ぶから容易く不安感の要因となる。

俺には合わない、俺にはできない、当たらない宝くじを待つ気にはなれない、待っていたら俺は今以上にダメになる。

誰しも誰かに憧れる時があるが、芥川もソクラテス同様、この世にはいない、今生きている人への憧れと言ってもその人も明日亡くなるかもしれないし、日常の中で接していなければ生きていようが亡くなっていようがリアリティーに欠けるのは同じことだ。

だいたい芥川賞作家に憧れていると言っても、誰かに憧れるのは果たせぬ名誉欲の肩代わりに過ぎないんじゃあないのか。

俺はそんなことを思いながら小柴さんの話を聞いていた。

小柴さんに原稿を返し、改めて礼を言って店を出たとき、なんだか失礼なことを言ってしまったと後悔したが、夢を持って生きている人をバカにするつもりは毛頭ない。

ただその夢があまりにも他者の評価に依存し過ぎていると思ったからあんなことを言ってしまった。

太田流に言うと他者の観念の中に生きている、とはいうものの、太田さんのようにもなれない、俺の中の嫌な俺を潰しきれない、小柴さんのことも否定し切れない、俺の中にある俺と相入れないものを他人ごとのように思うしかない。

結局のところ他人のことは放っておく以外にない。

まあいいか所詮他人様のことだからどうでもいいと思う以外ない。

 

モンスタークレーマー佐々木さん

 

佐々木さんは役所でも有名なクレーマーだ。

七十歳になる佐々木さんは、毎日のように市役所に出向き、一階から九階までエレベータを使わず階段で上がる。

健康のためではない、その階ごとにある担当課の一つに寄って文句を言うからだ、一階では市民課に寄って、二階では福祉課に寄って、三階の教育委員会に寄ってというように。

佐々木さんも俺の担当だが、手ごわい相手だから気をつけろと上司から言われている。

ある日のこと、その佐々木さんが今日も現れたとの情報が入った、俺は上司から「今一階の市民課にいるらしい、今後の参考にこっそり後ろから見てこい」と言われ、一階に降りた。

不在続きで佐々木さんとはまだ自宅で会ったことはないが、先日、市役所のロビーで上司から紹介された、そのときは愛想のない年寄りだと思っただけだった。

市民課のカウンターに佐々木さんはいて、大きな声を発していたが、まばらにいた他の人たちはこの大声老人に興味がなさそうだ。

「課長に用がある、課長を出してくれ」

するとメガネをかけた小柄な男性がカウンターに現れた。

「係長の工藤です、課長は会議で席にはおりません」

「こんなに早くからか」

時刻は九時をまわったところだ。

どうやら開庁時間に合わせて佐々木さんの活動が始まるみたいだ。

「はい、昨日からの会議の続きで今日は開庁前から会議に入っていますので、私がご用件をお伺いいたします」

その係長は、佐々木さんとはもう顔なじみのはずなのに「今日はどんな用件か」とは聞かなかった、「今日は(きょうは)」と言う言葉を使わなかった。

また来たのかという印象をわざと消すためか、有名人というある種の特権意識を植えつけないためなのか。

佐々木さんは「接客態度が悪い」とか「説明が不十分」とか「時間がかかり過ぎる」とか「それだけじゃあないんだ」とか大声でまくしたてている。

それでも回りにいた他の人は、さして変わらない日常の中にいた。

係長は「申し訳ございません、接遇の問題や時間の効率化、その他のことにつきましても、市民の皆様のご期待に応えられるよう今後とも改善に向けて努力して参ります、どうか今しばらく見守っていただけないでしょうか、お願いします」と型通りの返事をした。

「今しばらくっていつまでだ、期限をはっきり言え」

「おっしゃられたことは全庁的な課題でもあります、市をあげて取り組む必要があり、現に各部署におきましても改善に向けて努力しているところです、全庁的なつながり、連携協力体制の中で課題に対応していく方針です、ご指摘につきましては真摯に受け止めております」

佐々木さんは、しばらく黙って係長を睨みつけ「課長に言っておけ」言い残して二階に向かった。

軽いウォーミングアップ程度だった。

第一ラウンドはこんなものかと思い、俺も二階を目指した。

二階の福祉課では佐々木さんに負けず劣らずの不愛想な女性職員が対応した。

その対応が気に食わなかったのか、佐々木さんの十八番である「課長を出せ」が室内に響き渡った。

  出てきた課長らしき人は、佐々木さんをなだめるようにしながら奥の応接セットがあるところに連れていったので、俺にはやり取りがはっきり聞こえなくなった。

二人のやり取りは小一時間程度もかかった、ときおり佐々木さんの「あの態度は何だ」とか「分かっているのか」「もっと厳しく指導しろ」とかいう声が聞こえた。

福祉課の施策に対して文句の言いたいことがあって来たのかと思ったが、そうではないようだ、たまたま応対に出た職員のことを怒っているということだ。

固定観念に縛られず、変幻自在、臨機応変というところか。

二階を出たら今度は三階の教育委員会だ、佐々木さんは今日の教育行政に一言苦言を呈したいのか、はたまた対応のまずい職員を期待しているのかは行ってみないと分からない。

  教育委員会事務局に入った佐々木さんは男性職員に案内され、社会教育課長席の横にあるソァーに腰を下ろした、直ぐに見覚えのある社会教育課長も一礼し、テーブルを挟んで腰を下ろした。

女性職員がテーブルの上にお茶を置いた。

ここまでは職員の対応は完璧で文句の付けようがない。

二人が座っている横には仕切りを兼ねた鋼製の書庫が並べられており、その上に社会教育関係の資料やパンフ類が入ったレターケース置かれていた。

おまけに小さな閲覧台やパイプ椅子まで用意されていたので、俺は椅子に座ってそのパンフ類を見るふりをしながら聞き耳を立てた。

今度はよく聞こえる。

相変もわらず大きな声を上げる必要のない場面で、佐々木さんはまた大きな声で「図書館のアスベストのことだ」と叫んだ。

  社会教育課長は事の次第を承知していたのか「その節は大変ご迷惑をおかけしました、社会教育施設総括担当としてお詫びいたします」と誤った。

二人の話の内容から大筋は理解できた。

佐々木さんが図書館に行って、建物にアスベストが使われているのではないかと尋ねたら図書館員がアスベストについて書かれた資料を持ってきたので激怒したところ、図書館員からそのようなことは建築課で聞いてくれと言われ、建築課に電話したところケンモホロロに扱われたらしい。

しかし専門職の図書館員がアスベストに関する資料と実際建物にアスベストが使用されているのかという質問を間違えるとは考えにくいし、建築課も質問の趣旨がはっきりしていればそんな無碍な対応はしないはずだ。

  佐々木さんが余程回りくどい方法で質問したのか、いやあの人がそんなことするようには見えない、だとしたら初めから気合が入りすぎ興奮状態だったため要領を得なかったと考えるのが普通だろう。

あくびを何回もするほどの時間が過ぎ、やっと佐々木さんが腰を上げた。

部屋の入り口まで社会教育課長が見送った。

佐々木さんは、珍しくエレベータに乗った、気づかれないように俺も乗った、四階を目指すはずの佐々木さんの行先はなんと地下の食堂だった。

時刻は十二時を少しまわったところだ。

佐々木さんは何事もなかったように食券を買ったので、俺も同じように買った。

食堂でも文句を言うのかと思ったが、黙々とAランチを食べていた。

食堂には大勢の職員がいるにも関わらず、それを無視するかのように振る舞いおとなしかった、何もなかった。

エネルギーの消費を抑え、充電しているのか。

食べ終わった佐々木さんは無表情で食器を返しに行った。

昼食後こそ四階だ、もう階段は使わずたぶんエレベータでいくだろうと思っていたが、こともあろうに佐々木さんは役所を後にして帰ってしまった。

楽しみは明日までとっておくつもりなのか。

俺は職場に戻り、上司に今から佐々木さんを訪問すると言ったら上司は弁当をパクつきながら   「午前中の研修の成果に期待しているよ」と笑った。

市役所で一仕事し昼食も済ませたので、たぶん佐々木さんは家にいるだろう、家は古い木造アパートの二階となっている。

二階に上がり表札を探したら紙にマジックで「佐々木」と書いた部屋があった。

「佐々木さん」と呼ぶと、間髪を入れず中から返事があった。

「どなた」

「市役所から来た訪問員です」

「市役所、何の用」

「ご高齢でお一人暮らしの方の家を訪問しております」

「ああ、あれか」

それからドアが少しだけ開いて佐々木さんの顔が見えたが、部屋に上げる気は微塵もないようだ。

佐々木さんは、ドア越しに「何を調べたいんだ」と不愛想に言った。

この訪問制度に関しても必ず一言文句を言うはずだと思っていたがそうでもなさそうだ。

佐々木さんは俺のことを覚えていないようだ、いや覚えて欲しくないからそう見えたのか。

まあそんなことはどうでもいい。

俺はとりあえず事業の趣旨などを記したチラシを渡し、慎重に質問した。

「ああそうだ」

佐々木さんはチラシに目を通すことなく、そう答えた。

不愛想で口調はきついが怒っている感じではない、人間一日中は怒っていられないものだ。

「ご家族は他都市がどこかにいらっしゃるんですか」

「そんなこと言う必要があるのか」

「いえ、参考にと思いまして、ご気分を害して申し訳ありません、こちらの都合だけのことですから、勝手なこと言ってすいませんでした」

佐々木さんは無言で俺の顔を見た。

「ああ、家内とは三十数年前に離婚したよ、息子も家内と一緒に出で行ったよ、あとのことは知らないよ、どこでどうしているのか何の連絡もないよ、まあそれまでは結構よかったのに・・・」

  「結構よかった?幸せだったのですか、それまでは」

「・・・幸せ?まあそうだった・・・」

佐々木さんが離婚の原因を口にすることはなかった、俺も聞かなかったが、佐々木さんの声の調子が段々落ち着いてきたので、俺はドア越しに、いくつかの質問を続けて用紙に記入していった。

「そうですか、分かりました、ご協力ありがとうございました」

「いつまでもお元気でとか言わないのか、あんたは」

「言った方がいいですか、こんな時には」

「別に言わなくてもいいよ、そんな見え透いたセリフ」

一瞬佐々木さんの表情が緩んだ。

「何かお困りのことでもあれば、そこに連絡してください」と俺はチラシを指差した。

「連絡すれば何とかなるのか」

佐々木さんは薄ら笑いを浮かべていた。

「困っている年寄りの悩みを聞いたとして、どれくらい、何パーセント解決できると言うんだ」

「何パーセントと言われますと、まあ内容によりますが」

「年寄りの苦悩なんてみんな同じようなものさ」

佐々木さんから苦悩という言葉が飛び出した。

佐々木さんの言うそれは、経済面での生活苦とか病身の悩みとかではないような気がした。

老人個々それぞれの悩みを同じようなものだと表現したのだろう。

「苦悩?苦悩ですか、それは人それぞれだと思いますので、そういう意味では役所でできることはと言われますと・・・まあ限りなくゼロに近いという気もしますが」

「そうだろうな、誰も好き好んで苦しんでいるわけではないし、中途半端な話し相手など百害あって一利なし、一市役所が解決できることでもないよ」

市役所にできることはないが、佐々木さんはまた市役所にいくだろう。

佐々木さんに老後の自分を重ねることはあり得ないが、こっちも何となく寂しい気分になった。

俺はとにかく早く帰ろうと思った。

「僕も佐々木さんのおっしゃるとおりだと思います、いろいろとありがとうございました、失礼します」

「ああ、またな」

そう言った佐々木さんの目がやけに寂しそうに見えた。

佐々木さんもやっぱり寂しいのか、苦しんでいるのか。

寂しいといっても、パターンはそれぞれだ、みんなが佐々木さんのところへ押しかけたら佐々木さんは壊れてしまうだろう。

佐々木さんは真の理解者を求めているのか、真の理解者って何だろう、それは分からない、それは本人にもわからないことだろう。

でも佐々木さんは苦しんでいる。

苦しさのハケ口を探せど中々見つからず、それで余計に苦しんでいるのか、確かに佐々木さんにとってはクレームの相手は中途半端な話し相手より充実感のある大きい存在に思えただろう。

でも役所に文句を言いに行っても何の気晴らしにもならないことは自分が一番分かっているはずだ、他にどうすることもできないのであんなことを繰り返しているのか、市役所の相手が刺激を与えてくれるうちはまだいいが、置物のごとく扱われ、完全に無視されたり、寝たきり老人に向けられるような眼差しを持って同情の対象にされたとき、あの人の行き場は完全に閉ざされる。

それでも佐々木さんは明日また役所に行くのだろうか、明日は四階からか、たまには九階から降りても面白いのに。

佐々木さんの昼食は安くてボリュームのあるAランチ専門なのか。

俺はそんなことを思いながらいつもよりゆっくり役所に帰る道を歩いた。

秋も終を告げようとしていたが、誰かがピアノの練習をしているのか『秋の夕日に照る山もみじ 濃いも薄いも数ある中に・・・』の美しい旋律がどこからともなく流れてきた。

それは過ぎ去る秋を惜しんでいるようだった。

誰だって過ぎ去った時を懐かしみ、惜しむこともあるだろう、俺にも佐々木さんにも。

『佐々木さんとこの曲を聴けたらなあ』とも思った。

もう冬が目の前に来ている。
 

本人いい人、息子悪い人鈴木さん

 

この仕事にもぼちぼち慣れてきたところだか、要領は得ても、仕事の意義や価値はまだ掴めない、熱意も持てない、何かが欠けているような満たされない気持ちを抱えながら俺は今日も訪問サービスを続ける。

今日は鈴木さんだ。

鈴木さんは七十四歳の女性で古びた一軒家に息子と二人で暮らしているとのことだ、その息子は働いてはいないが、家にはめったに帰ってこないらしく俺は一度も会ったことはない。

でも小遣いをせびりに時々は帰ってくるらしい。

俺が鈴木さん宅を訪れるのは三回目だがたまたま息子がいた。

特に鈴木さんに用があって来たわけではないが、それ以上に用のない息子との対面が果たせた。

息子は昭和のやくざ映画に出で来るチンピラ風の派手なジャケットを着ていて威圧的に俺を睨んだ。

これが懐かしき昭和というものか。

俺を威圧しても何の得にもならないのに息子は俺を睨み続けたが俺は無視した。

そのあと息子は無言のまま家を出て行った。

何だ、あいつと言う感じそのままの息子に鈴木さんが「どこに行くの」と声をかけたが返事はない。

「すいませんねえ、気分悪くされたでしょう」

「いえ、何かあったのですか」

「いいえ、おたくさまが役所の方だと知って、何か注意されるとでも勘違いしてあんな態度を取ったのでしょう」

「僕が彼に注意ですか、へえー」

「強い子だとは思いませんが、何故か片地張るところがありまして・・・ごめんなさい。

もう三十近いのに働きもせず、ろくでもないことばかりして、ご近所の方にも迷惑をかけっぱなしで・・・」

「迷惑と言いますと」

「ええ、この前も中高生の不良グループを引き連れてお年寄りに嫌がらせをしたとかで、おまわりさんが家に来たくらいです」

「息子さんはおまわりさんに注意されたのですか」

「いえ、息子は家におらず、私が誤り、お年寄りの家にも行き土下座して謝りました、ほんとに情けなくて涙が止まりませんでした。

そのほかにもご近所さんとのトラブルがいろいろと・・・」

「一ども働いたことはないのですか」

「あっても一週間と続きませんでした」

「鈴木さんからの小遣いでやっているのですか」

「小遣いといっても私は年金生活なので大した額ではありせんが、いったい何をして生活しているのか聞いても「うるさい、お前には関係ない」ととりつくしまもありません、そのうち本当に警察のご厄介になるのではと思うと心配で、心配で・・・」

「前からそういう風だったのですか」

「高校三年あたりからおかしくなったのですが、全て親の責任です、私が悪いのです、年をとってからの子だったので、主人は息子が中学に入ったとき亡くなりましたが、亡くなった主人も私もつい過保護になってしまい、甘やかし過ぎました、このままではいけないと思いながらも、どうすることもできなくて、今ではもう取り返しのつかない状態です。

世間様にご迷惑ばかりおかけし、このままではいけない、何とかしなければと思いますが、私が死んでお詫びし、許していただけるものならとも思いましたが・・・。

それさえ叶わないことで、このままでは死んでも死にきれません」

そう語る鈴木さんの目には涙が溢れていた。

俺はどう慰めていいのか分からず、黙っていたが頭の中にはいろんなことが思い浮かんだ。

『ただ甘やかされて育っただけでは、ああはならない、きっと彼は何かをしたかった、しかしそれを阻害するものが現れ、それを排除する方法が分からなかった。

それなりに自分の気持ちを伝えようとしたこともあっただろう、でも伝え切ることができず、自分の力で立ち向かおうとしたが、これもできなかった、彼の前に立ちはだかる敵は多くて、みんな強く見えた、彼は自分のこれをしたいという欲望から撤退せざるを得なくなり、虚しさと口惜しさだけが残った、そのはけ口を求め未だ彷徨っている、彼は自分の負った傷を隠そうとすればするほど傷口は大きくなっていくのを知っているし、それに怯えている、救いの手から段々離れていく自分に怯えている。

俺は彼を弱い人間だと侮る気はないし、否定する気もないが、救う気もない、俺も光に閉ざされた世界で何かに怯えているからだ』

しばらく沈黙が続いた後、鈴木さんがポツリと言った。

「高校時代のいじめが原因でしょうか」

「えっ、いじめられたのですか」

「ええ、担任の先生から聞きました、先生が事情を聴いてもはっきり言わないから、お母さんからも事情を聴いてくれと言われました」

「で、息子さんは」

「私が問いただしてもはっきりせず、最後には涙顔でお前には関係ないと暴れる始末です」

俺は、彼は彼なりに先生にも親にもサインを出していたはずだと思ったが・・・。

鈴木さんの目にまた涙が溜まっている。

「あのときは、抱きしめて一緒に泣きたかったのですが、親としての責任を果たそうと強い態度で臨んだことがいけなかったのでしょうか・・・」

確かに強い態度など必要なかったと俺も思うが、いまさらそれを鈴木さんに言っても仕方ないことだ、鈴木さんを苦しめるだけだ。

鈴木さんは苦しんでいる、聞いている俺も息苦しい。

俺は「大変だと思いますが、息子さんもきっと目覚めるときが来ると思います、それまでの辛抱です、頑張ってください」と心にもないことを言ってその場を立ち去るしかなかった。

鈴木さんに一礼して家を出ようとしたとき、電話が鳴った、

鈴木さんは背を向けて電話を取ったので、一礼するタイミングを逃した。

そのとき鈴木さんの「警察ですか」という声に俺はドキッとした。

予想的中で息子は、お年寄りへの暴行、恐喝容疑で中高生の仲間とともに警察に身柄を拘束されたらしい。

鈴木さんから事情を聞いた俺は一緒に警察へ行く羽目になってしまった。

鈴木さんのショックは相当なもので、一人で行かせるわけには行かず仕方なく同行した。

俺は役所に帰ってそのことを上司に報告したら上司は「それは大変だったね、ご苦労さん、まあ裁判を経て執行猶予が付けばいいところかな、しばらくは出て来れないな」と癒しの言葉と今後の展望を語ってくれた。

果たして結果はその通りで、息子は起訴され、裁判を待つ身となった。

俺は鈴木さんの顔を見るのは辛いと思いつつ、また鈴木さん宅を訪れた。

台所のテーブルに座っている鈴木さんはやつれ切っていた。

「その節は、大変ご迷惑をおかけしました、本当に申し訳ありません」

「あれから息子さんどうですか」

「実刑は免れないらしいです」

「初犯で反省もしているんでしょう」

「主犯ということで・・・蹴ったり、ナイフもちらつかせたみたいで・・・ただ泣いているだけで反省の色が見えにくいらしいです・・・もう諦めています、泣きたいのは私も同じです」

そう言う鈴木さんの目は涙も枯れ果てたという感じで、何か一点を茫然と見つめているように見えた。

俺は何か言おうと必死だった。

「泣くだけ泣いたら次の展開が待っていますよ、それを期待しましょう、その後は大丈夫ですよ」

俺はまた心にもないことを言ってしまった。

「あの子が改心するということですか、本当にそうなるのでしょうか、いつかまた子どものころのような無邪気で優しいあの子に戻ってくれるのですか、本当に・・・」

鈴木さんは茫然とした眼差しを向け力なく言った。

そのときの鈴木さんの青白く冷え切った顔が俺の心臓を突き刺した。

俺は震えが止まらなくなっていた。

俺はそれ以上鈴木さんの顔を見ることができず、返す言葉も失くしていた。

何も発せず鈴木さんの家を後にした。

何という薄情な男なのか、俺は悲しみに暮れる一人暮らしのお年寄りを見捨てた。

何かすべきだった、何をすれば良かったのか。

俺は鈴木さんから逃げたかっただけだ。

外に出ると冬の青空が広がっていた、職務を放棄した薄情男の頭上にも青空が広がっていたが、青空は俺を慰め、励ます気など全くないようだ、ちっぽけな存在など眼中にないとばかりに誇らしげにどこまでも広がっていた。

俺はしばらく俺同様薄情な青空を涙目で見ていた。

悔しかった、辛かった。

俺は自分を責めることでこの苦しさから逃れようと必死になったが、それさえもできなかった。

青空を見上げていると、不思議にいろんな人のことが走馬灯のように脳裏に浮かんだ。

本当に不思議な気分になった。

気が付くと俺の脳が、ほんの僅かな俺の期間を勝手に総括し始めていた。

僅かな期間の中で、俺は人との接触で何を得たのか。

どんな社会でもいろんな人間がいる。

そしてその中でみんな悩んで病んでいる。

そんなことがとりとめもなく浮かんできた。

 

自省録

 

いろんなものがいる。

会社の同僚にもいろんな人間がいたが、何のために働いているのかなんて元々誰も考えてはいなかった、考えて分かることと分からないことがある、だからみんな考えていなかった、魚や昆虫のように何かの衝動の下にそれぞれに動いているだけだった、自分にとって利益が感じられないことには本能的と言えるほど無関心でいた、そして何か不安を感じたとき思い出したように目的や価値について喋り出し、自分で勝手に考えついたことを後から自分の生き様なり人生に付け足してホッしている。

俺の父親もこうしろ、ああしろ、あれはいけない、ああなってはダメとか人間かくあるべきと言うが何も確信めいたものがあってのことではない、自分は実はこうしたかった、ああ成りたかったと自己の欲望なり、感情なり自分の心理状態について語っているだけだ、語ってもいいが、語らなくても生きていけるが、価値や目的や自分が今こうしている理由を語るのは語らざるを得ない自分がいるから語っているだけで、何かをどこかに付け足してホッとしたいからだ、その点はみんな同じだ。

青空は広がらざるを得ないから広がってホッとする、それが終われば雲や雨に席を譲るだけだ。

 

俺が訪問したお年寄りはどうだ。

青木さんは金の亡者か、彼は金という鎧が欲しかったのだ。

金は交換媒体であり、自己の欲望を叶える一手段のはずだか、青木さんの場合はそうではなかった。

金が目的となり欲望そのものとなり、自分自身となった。

みんな金で何某かのものを得て満足感に浸ろうとしているが、金そのものに置き換えられてしまった欲望からは満足は生じない。

彼の生きた場所は戦場だった、彼はそう思っていた。

戦場で素のままでいる自分が怖かったからだ、金という鎧はいつしか身体の一部となり、身体そのものとなってしまった、彼は死んでもその鎧に守られていたいのだ、彼が墓を建てたいと言った意味は死んでも鎧は脱がない、死んでも自分を守るということだ。

金という鎧を着たら、みんな敵に見えるだろう、いい人など一人もいないと思うだろう。

いい人も探せばどこかにはいるだろう。

物乞いをしていた人が貧しい農民に助けられ励まされ、後に出世して大金を持ってお礼に行ったが、助けた人はそれを受け取らなかったといういい話をテレビで紹介していたが、そういう人もいるかも知れないが、それは中国の田舎の話で、青木さの回りには、いや青木さんの目にはそういう人は一人も映らなかったのだろう、俺もそういう人に出会ったことはないし、出会いそうにもない。

ホセ・ムヒカは尊敬されても、みんなああはなれないと思っている。

彼の考え方や価値観が世界を覆い尽くさない限りは一つの考え方に過ぎない。

分かっていても、そうできないのが世の常だ。

キング牧師は、貧困に対して当たり前のことを言っただけ、でもそれに従う人は多くない、金が全てのアメリカではなおさらだ、失うことは怖いこと、今持っているものを失うのは嫌だと思っている、これも当たり前のことか。

だからと言って青木さんのような鎧は来たくない、でも裸でいることもできない。

 

ホラ吹きの木村さんの話を聞いていると腹立たしいというより何となく切なくなってくる、聞いている人間が切ないなら話している人間はもっと切ないに違いない、でも彼は今日もどこかで聞いてくれる人を見つけ出し吹きまくっているだろう、彼はそれが鎧だと思っていたかもしれない、但し聞いてくれる人がいればの話だ。

それは誰かの手助けで着せてもらわないと着られない鎧だ、着せてくれる人がいなくなったらおしまいだ。

 

太田さんには鎧は必要なかったのだろうか、いや彼は無防備ではない、青木さんの鎧より強力な鎧を身に着けていたのではないか、青木さんの鎧よりはるかに高額な鎧だ、俺には手が届かない。

 

中村さんは生に目的も意味もいらないと言ったが、それが彼の目的と意味になっている。

葬式を上げないことが彼の葬儀だ。

中村さんは太田哲学を実践して死んで逝った、太田さんのときも葬式はないだろう、太田さんがいつ死ぬかを気に留める必要はない、その点は俺も一緒だ、誰がいつ死のうと気にする必要はない。

 

松井さんは十円、二十円を始末しているように見えるが、切手の収集と同じ、レシートの収集家だ、単なる収集家だから金の面で得をすることはない、俺は何も集めていないが俺も得をすることは何もない。

 

渡辺さんは嫁より自分が好きなだけだ、自分を愛するために嫁さんに登場願っているだけだ、いくら喜劇でもそういう登場人物がいなければ始まらない。

 

佐々木さんの役所でのクレームはそう長くは続かないと思う、市役所に行けば相手は簡単に見けられ、職員からそう無碍に追い返されることもないが、それだけ緊張感もなくマンネリになり文句を言う方も言われる方も飽きてくる、かといって、市役所以外でクレームをつけることはないだろう、民間と役所の違いを彼は知っている、もうぼちぼち潮時だと思うが、それに代わるものを見出すのは簡単ではない。

 

ゴールドミセスクラブの入江さんのストレスは始末家の中井さん以上だろう、入江さんの勘違いは初めから勝ち負けのないところで無理に勝者を演じようとしていることだ、これはストレスが溜まる。

もっとも何も演じなくても、ストレスはそれなりに溜まるが。

入江さんには当てはまらないかもしれないが、強いものが弱いものを餌にして生き残る世界は残酷そのもので反吐でるほど嫌いだ。

人間の世界と野生の弱肉強食の世界とは違う。

自然の秩序に従っているだけの野生は弱肉強食というより物理法則や化学反応の世界に生きているだけで、憎しみ、嫉妬、蔑み、怨み、虚栄心、意味のない一人よがりの対抗心、悲しみの感情を分母とする優越感など負の感情に支配され弱者の肉を食らう人間社会とは違う。

負の感情にかられての弱肉世界の世界は人間社会を暗黒の淵に追いやっている。

負の感情の連鎖が何をもたらすか、考えただけでゾッとする。

 

芥川賞を目指す小柴さんように他人の評価を待つのは宝くじが当たるのを待つよりしんどいことだ、俺にはできない。

 

金城さんに将来について聞いたことは間違いだった。

将来が不安なのは俺自身の方だ、俺の想像の世界のことで、金城さんに実感できるわけがない、たとえ彼らと現在を共有できたとしても過去や未来は共有できない。

人生泣き笑いというが、金城さん親子にとっては泣きの部分はどこに行ったのだ、泣きの部分をとったら人間みんなああなるのか、あの二人は過去の記憶の線が壊れているのか、いや壊れてはいないが、それとマイナス感情とが結びついていないのだ、だから将来についても案じることがなく、ことさら考える必要もないのだ、他人と自分を比較することもせず、ただ天性、本性に従っていつも楽しくしているだけ、それはそれでいいと思うが、俺にできるのか、した方がいいのか分からない。

俺はこの仕事をするまでにも百人以上の人間に会ったが、ああいう人間になれると思ったことも、なりたいと思ったことも一度もない、確率で言うと百パーセントだ。

みんな自分自身でも理解し難い何かに取つかれているように思えて仕方ない。

何かの小さな手段であったものが目的となり、それにしがみついている。

みんな分からない、何故みんなあんなことをして生きているのか、していることに意味があるとは思えないし、何が意味があるのかも分からない、考えても分からない、考えないようにしても、何か心の中で引っかかりを感じて考えてしまう。

俺は何も考えたくないのだ、でも勝手に脳が動いてしまう。

どうでもいいと思っていたことを、俺の脳がそれを呼び起こしてしまう。

俺の頭の中はぐじゃぐじゃだ、いや俺だけじゃないかもしれない、大金持ちもホラ吹きもレシート収集家も嫁嫌いも見栄っ張りも小説家もクレーマーもみんなぐじゃぐじゃだ。

中村さんも太田さんも金城さんもぐじゃぐじゃだろうか、

あの人たちの頭の中はぐじゃぐじゃではなく反対に何かが足りない。

何だろう、物質慾とか名誉欲とか現代人にとっての基本的な欲望が足りないから、ぐじゃぐじゃにはならないのだろう。

 確かに物欲や名誉欲から離れれば平穏無事だろう。

人間の仕事や行いから金銭欲と名誉欲を取り除けば太田さんのいう自力満足しか残らないだろうが。

物欲とか名誉欲とかの欲望や感情に代わるものが頭の中を満たしているならそれはそれでいいとは思うが。

欲がないのはもう満たされているからだが、あの人たちは何かを捨てたから何かを得たのか、得られないから諦めたのか、もしそうならそういう人間は世間でいう負け組なのか、あの人たちに勝ちとか負けがあるのか、あったとしても普通の人間とは違ものだろう、あの人たちは少数派だ、異端児だ、一万人に一人いるかどうかも分からない人たちで真似はできない、下手に真似れば火傷する、そういう人に憧れても仕方ない、目標にすることもできない。

誰も好き好んで思い悩み苦しんでいる人はいない、みんな喜んでいたいはずだ。

喜ぶことが人間の性に合っている、だからこれが本性か、でも何故かみんな苦しんでいる。

みんな思い通りに行かないので悩んでいる、初めからそんな思いがなければ、初めから期待しなければいいのか。

それは簡単なことか。

では何故そうしないか、そうしたくないだけなのだ。

物質欲と名誉欲に取って代わるものがあったとしても、人はおいそれとそれを望みはしないだろう、望まないように誰かがしているのか、何かが邪魔しているのかは分からないが、そんな世界はつまらないとみんな思っているのか、思わせられているのだ、喜びに満たされると次の欲が出てこない、これは怖いことだとみんな内心感じているのか、感じさせられているのだ。

俺にも欲がある、その欲望の対象が何か分からず未だ彷徨っているが、その欲望を否定する気はないし、またできないと思っている。

頭の中がぐじゃぐじゃでもそのうち死ぬが、死ぬまではみんな不安にさいなまれる。

どんなふうに生きようが、楽しいと思えば楽しくなるだろう、でもそれができないのは何かが邪魔しているからだが、邪魔立てしているのは物質欲とか名誉欲や世間体といったものだけではないような気がする。

人間の欲の背景には潜在的な不安ある。

不安が欲望の母だ。

潜在的不安がある限り、そこから逃れようとする欲望が生じる。

人間は欲望を産む潜在的不安感に支配されている。

だからみんな不安で何かに怯え、現状からの逃避を考えているが、潜在的なものからの逃避は簡単にはいかない。

みんな中途半端な反抗しかできないのだ。

みんな無理して生きている、本当の顔は見せない、見せられないのだ。

みんな病んでいる、みんなノイローゼ。

だから俺も中途半端なこととか考えしかできないのだ、これが当たり前なんだ。

中途半端であろうが不安であろうが、その世界にしがみついている、みんなしがみついている。

本質の世界がどんなものか俺はまだ経験していない、現象の世界しか経験していないし、この現象の世界に振り回されている、誰でも虚しさも苦しみもない世界に行くこともできるが、みんなそこへは行きたくないと思っている、みんな生きたいと思ってここにしがみついている。

虚しさや苦しみから逃れるために、虚しい苦しみの世界で生きている、不思議なことだがこれが現実だ。

だから俺もこれでいいんだ、これしかないんだ。

でも本当にこれでいいのか。

頭の中をいろんな思考がグルグル回って疲れた。

もう思考のない世界に行きたい、でも行けないだろう。

考える人生はしんどい、考えない人生は怖い。

とりとめもないことを考えていたら役所に着いた、そろそろ終業時間か。

 

俺はその晩夢を見た。

それはおばあちゃんの葬式だった。

あの笑顔で俺に会釈したおばあちゃんの葬式だ。

俺の担当の十一人もみんな参加していた。

亡くなった青木さんも中村さんもみんな参列していた。

俺の得意先十一人総出演の夢だった。

そして俺の横にはそのおばあちぉん本人が座っていた。

おばあちゃんは嬉しそうな顔で俺に言った。

「やっと夢が叶いました」

「夢って何?」

「楽に死ねました」

「おばあちゃんの夢って楽に死ぬことだったの、それだけだったの」

「それだけです、この薬のお陰ですよ」

俺はおばあちぉんが差し出した錠剤を見た。

「その薬を飲んだから楽に死ねたの」

「はい、いつ死ぬかはわかりませんが」

「それって明日死ぬか何年後になるか分からないってことなの」

「分かりませんが、死ぬ時はどんな嫌な思いをした人でもみんな忘れて、楽に夢心地の中で楽しく死んでいけます」

「そうか、それでさっき棺の中を覗いたらおばあちゃん楽しそうに笑っていたね」

「そうでしょう」

人間誰しもいつ死ぬか分からないというが、それは建て前で言葉の上だけのことに過ぎない。

みんな明日死ぬとか一週間後に死ぬとか思っていない。

一週間後に死ぬと分かっていれば、人間どうなるだろう。

三大本能のままに快楽をむさぼるかもしれないが、実際におばあちゃんが言うような薬を飲んで死んだ人を目の当たりにし、いつ死ぬか、明日死ぬかもしれないと強く意識しそれを確信すれば、また話は違ってくる。

たぶんヤケクソにはならないだろう、むしろ心穏やかに生を楽しむだろう。

その方が人間の本性に叶っている、自暴自棄になって快を求めてもちっとも楽しくないことを人間は知っている。

回りにいる人たちも声も聞こえてきたので辺りを見回した。

一通り泣いた後「好きなテレビが今から始まるから」と言って帰った人、肩をたたき合って笑っていたのに焼香の時は神妙になる人、誰の葬式か分からないけど、とりあえず駆け付けた人、酒を飲みながら肴を探している人、いろいろ。

「もう少し長生きできたのに、可愛そうに」

「いや寿命だよ、寿命はみんな違うよ、明日死ぬかも知れない」

「みんないつか死ぬ」

「そうですね」

「早く私も逝きたい」

「死んでもいい人は他にいるのに」

「死ぬのはごめんだ」

「死といっても自然の変化の一つ」

「本当は誰も死んではいない」

「死とは何だ」

「定義の分からないことを考えても仕方ない」

「もっと大きなところで葬儀をやるべきだ、ここは狭い」

「俺の時はもっと盛大だ」

「葬式にはもっと金をかけるべきだ」

「故人を冒涜してはいけない、評価するべし」

「葬式屋の段取りが悪い、どこの会社だ」

「身内は何処、身内がもっとしっかりと」

「墓はどうするんだ、墓は」

「参列者が少ない」

「料理も貧相、粗供養もらっていない」

口々に勝手なことを言っているようだ。

その傍でニコニコ笑っている人、無言で立っている人、超然としている人、全然興味なさそうな人。

喜んでいる人、笑っている人、悲しんでいる人、憎んでいる人、不安がっている人、怯えている人、怒っている人、わけの分らないことを喋っている人、総出演だ。

ただ当のおばあちゃんは「たくさんの人がいますよね」と相変わらず微笑んでいるだけだった。

何であんな夢を見たんだろう、あの人たちに興味があるからなのか、それとも俺が仕事熱心だからか。

いやそんなもんではない、あれが俺の姿なんだ。

金の鎧を身に着けた青木さん、本質の世界の中村さんや太田さん、始末家の中井さん、天性のまま生きる金城親子、悲しみの鈴木さん、何かに怒りをぶつけている佐々木さん、見栄っ張りの入江さんや木村さん、誰かを憎もうとしている渡辺さん、あり得ないと言い切ってもいいものに期待を賭けている小柴さん、それらを見て微笑んでいるおばあちゃん、そして楽に死にたいと願っていたおばあちゃん、みんな俺の一部なんだ、たとえ意識に昇ってこなくてもみんな俺の一部なんだ。

人間はどんなものにだってなれる、一人巣穴に引きこもって生きるものにも、群れで生きるものにも、人間だけがこれだと規定できない生物なのだ。

だから俺もどんな人間にも変身できる、あるときは・・・て、ことか。

でもいつどう変身するかを決めるのは俺ではない。

誰が決めるのか分からないが、どう変身してもみんな俺なんだ・・・。

俺は必死で分かったつもりでいようとしていた。

ここからの出口なんて俺にはないと言い聞かせることにしようか。

俺は日々そんなことを考えながら出勤し、ほんやりと仕事をするようになっていった。

職場に帰って報告書も書いたが、翌日になると何を書いたが思い出せない、そんな日が続いていたが、気が付けば俺は正月休みで家にいた、家で俺は何をしていたかは分からない、思い出せないし、俺自身に聞くこともしなかった。

今日からまた出勤という日の朝、トーストをかじりコーヒーを飲みながら朝刊に目を通していると一つの記事が目に飛び込んできた。

鈴木さんの息子が拘置所で自殺した。

泣くだけ泣いた後、自殺したのだ、次の展開ではなく最後の展開となった。

泣くだけ泣いた後、彼に何があったのか。

俺はしはらく何も考えることができなかった、涙が勝手に頬を伝った。

自殺した男のことを悲しんでいるのではない自分が何故か泣いていた。

俺は自分を慰めることができなかった。

  ただ俺の頭の中を俺がぐるぐる回っているのを感じるだけだった。

ある一人の男がこの世から消えた、消えたはずの男はまた俺の前に現れるかもしれない、いつかまた俺の脳の中に現れ俺を苦しめるだろう、そしてまた消えていくだろう。

そして、俺の心に浮かんだのは何故か鈴木さんを最後に訪れたあの日の青空だった。

あの青空はどこかに消えて行った、冬が過ぎれば春の青空が来る、俺は春も青空も待っていないがきっと来る、そしてその春の青空も消えていく、何事もなかったかのように消えていく。

俺は言い知れぬ感情が噴き出してくるのを感じた。

 

一週間ぶりに職場に戻ったが不思議なくらい、自殺のことは話題にならなかった。

みんな何事もなかったかのような日常の中にいる、ひょっとしたら何事もなかったのかもしれない、少なくともこの職場の中では何もなかったのだ。

次の日はやけに寒かった。

枯れ果てた冬の落ち葉だけが目を満たしてくれた。

落ち葉を踏みしめて歩く。

職場についても今日はやけに寒いと感じていたとき、普段はめったに会わない総務課長が俺たちの前に現れた。

相談室の課長も神妙な面持ちで横に立っている。

回りの職員は何事かという表情で二人を見つめた。

総務課長は小さな声で話始めた。

「突然のことで申し訳ありませんが、来年度からの訪問員制度につきまして、報告及び説明をいたします」

もうすぐ新年度になり、ほとぼりも醒めたところで、とりあえずこの仕事に一応の区切りをつけるということかと思った。

総務課長はその後も俺たちの労をねぎらう言葉とともに業務の成果、今後の市の方針など淡々と音声サービスのごとく説明し続けた。

しかし最後のくだりになったとき、皆がえぇーとなった。

業務の内容、並びに相談員の身分について改善するというのだ。

何だ、この仕事はまだ続くのか、しかも改善して続けると言う。

業務内容の改善については、俺たちが知り得た情報をデータベース化し、分析するというもので、もう一つは、今の訪問員は全員、嘱託として新たに任命されるということだ。

皆寝耳に水という感じだ。

アルバイトと嘱託では全然待遇が違う。

他の相談員なら分かるが、この俺まで嘱託員とは結構な大盤振る舞いだ。

説明を終えた総務課長が部屋を出で行くと、相談室長が「みなさんの頑張りの賜物です」と喜んだ表情を見せ、みんなも何となく喜んでいるようだったので、俺もお付き合いで何となく喜んでいるふりをしたが・・・。

そのとき何かしら重くて冷たい氷のようなものが心の真ん中にあるのを感じた。

 

俺はその晩父親にそのことを報告した。

父親はもうそのことを誰かから聞いて知っていたようだったが喜んでいた。

アルバイトから嘱託員、嘱託員から正規職員にでもなれば親の顔も立つということか。

父親は演技賞を狙っているかのような笑顔をとりつくろい、母親は疲れた表情の上に笑顔を乗せていた。

夕食のとき、家族はとりあえずの笑顔で一年間よく頑張ったと、ワインで乾杯することになった。

父親は俺のグラスにワインをなみなみと注いだ。

ワインを注ぐ父親の顔からはもう笑顔は消えていた。

母親はずっと下を向いていた。

虚構劇の舞台は早くも幕を下ろそうとしている。

さっきまで絡み合っていた相手役は舞台を降り、もう誰もいなくなった。

そして舞台は俺一人残して幕を下ろした。

幕は下りたが、そのとき俺は何故かホッとして、何か違う感覚を覚えた。

少し紫がかったバラ色のワインを満たしたグラスが、俺の顔を映し出した、俺はグラスをじっと見つめて、黙ってワインを一気に飲んだ。

そのとき俺の中の重くて冷たい氷のようなものがワインに溶けていくような感じがした。

飲み干したグラスを眺めていたとき、グラスがまた俺の顔を映し出し、そしてその顔が、また新しい旅立ちが始まるという合図をした。

俺は頷いた。

俺はまた何かにふれ、何かを感じ、またそれも消え、また何かが俺の前に現れるだろう、そうしてまた生きていくだろう、そしてそれが俺の世界の全てだ。

 

翌日俺は職場で書類を提出した。

『嘱託員を希望しません』

上司も他の相談員も何も言わない。

俺はその日も次の日も何事もなかったように訪問を続けた、木村さんも、太田さんも、中井さんも渡辺さんも金城さんも入江さんも小柴さんも佐々木さんも鈴木さんも俺の前を通り過ぎて行った。

笑顔を見せ、喜びを見せ、悲しみを見せ、虚しさを見せ、憎しみを見せ、怒りを見せ、通り過ぎて行った。

 

そして冬が終り春が来た。

俺は市役所を後にし、一からの道を歩き出した。

歩き出すと、またとてつもない空虚感と行先が見えない不安感にさいなまれる。

歩き出したらこうなる、こうならなければ歩いていることにはならない。

歩かなければ前へ進めない。

歩いた先に何があるか、でも歩かなければ・・・。             終

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